使い方

   中2 あかさふ(akasahu)  2026年4月1日

「〇〇~?」

そういうと私の友人は振り向いて反応する。しかし、実際このようにあだ名で呼ぶのはどうなのか?私はたまにではあるがそう思う。

あだ名で呼んで、人を傷つけることだってあるかもしれない。実際、あだ名によるいじめもある。それにより自殺まで発展した例もある。

あだ名で呼ぶことは私個人としての意見ではよいと思う。実際、あだ名などによるいじめにより亡くなった人もいる。

しかし、私はあだ名で呼ぶこと自体は良いと思う。もちろん、いじめを許容しているわけではない。それには二つの理由がある。

まず一つ目に、あだ名で呼ばないと緊張感が出ることがある。そもそも、あだ名が良くないなら、なんと呼べばいいのだろうか?

さん付け?、フルネーム?そもそも、どこからあだ名になるのか?というように疑問はいっぱい出てくる。

しかし、大体の人はさん付けはあだ名というくくりには含めないだろう。さん付けは敬語を使う人などに使うことが多いだろうから。

実際、私は、人をさん付けで呼ぶときは、敬意をもっていたり、敬語を使う人に使っている。というか、敬意ではなく、謙遜である。

また、友達と遊んでいるとき、一人の友達ともう一人の友達が初対面であったことがあった。(ここでは、一人の友達をAもう一人の友達をBとする)

AがBのことを「Bさん」と呼ぶと、Bが「Bでいいよ」といい、気を使っている感じがして少し緊張感が出ていた。

さん付けで呼ぶことで敬語を使う人という謎の距離感が出てしまい、緊張感が出てしまう。緊張感がでることで全体の空気も悪くなる。

そのような緊張感や空気を打ち消すためにも、やはりあだ名は必要であると思う。しかしデメリットもあるかもしれない。

例えば、あだ名で呼ぶことで、その人が傷ついてしまうかもしれないというデメリットがある。しかし、これに関しては大丈夫である。

なぜなら、普通の友達の関係であればあだ名を拒否することは容易にできるはずである。それができないのは本当の友達ではないと思う。

私の友達が別の友達をあだ名で呼んだ時、呼ばれた友達は、そのあだ名はやめてほしいといわれた。その後、そのあだ名を使う人はいなかった。

このように人間のやさしさがあれば、あだ名を拒否すれば、ちゃんとやめてくれる。そのようなことをしない人間は、もはや人間ではないのかもしれない。

二つ目の理由としては、あだ名で呼ぶと親近感が出るのである。

また、友達と遊ぶときはいつも友達をあだ名で呼んでいるのだが、みんな気にせず楽しんでいる。まるで家族のようだ。

おそらく、あだ名で呼んでいることから、親近感が生まれているから、みんな楽しめている。さん付けで呼ぶのとは大違いだ。

親近感が生まれることで全体の空気もあったまり、みんな楽しくなる。場の流れで全員の気持ちは結構変わるのである。

このように、あだ名で呼ばないと緊張が出て、逆にあだ名で呼ぶと親近感が出る。そのあだ名が嫌なら別のあだ名にしてもらえばいい。

このように、メリットがあり、デメリットも対策できるから、私はあだ名で呼ぶことは良いと思う。

現在、あだ名はいじめの原因になるともいわれている。しかし、「正しいものには悩みも多い」という言葉もあるように、

あだ名で呼ぶこと自体が悪いことではないのである。使い方によって悪くなる。あくまで悪いのはあだ名の使い方を間違えている人間のほうである。

あだ名は親近感を持たせてくれる。しかし、個人の意思を尊重しなければ、人を傷つけるものにもなる。これが悪いといわれる理由であると思う。

何にしても使い方は大事である。説明書を読まずに家を組み立てる建築士はいない。コードを知らないのにゲームを作るゲームプログラマーはいない。

あだ名だってそうである。使い方が見えないだけであって、人として考えればあだ名の使い方だって見えてくる。

見えてくるかどうかは、自分次第である。しかし、見えないものが見えてくるようになれば、あだ名以外にも、見えないものが見えてくるだろう。

人間にとってあだ名とは、包丁や爆弾のようなものである。人の役に立つこともあれば、人を傷つけることもある。

使い方さえ分かればいいのである。見えなくても見える力があれば、使い方はわかる。その力で未来を切り開いてくのである。

見えないものが見える力があれば、人の気持ちも何となくであれば見える。何か言われれば、その人の気持ちを読んだ返答をしてあげよう。

「なに?」って。