運命への憐憫

   中3 あおらえ(aorae)  2026年4月1日

  ゴミ置き場にあるゴミ。ごみ焼却場にあるゴミ。それらのゴミは、全てあまたの選択のすえにそこに行きついている。そこに行きつくには、例えばある人が物を欲しいと思って買うなり造るなりの選択をし、さらに捨てるという選択を経なければならない。つまり、この時代においてそこら中にあるゴミはすべて人の選択の結果といえる。僕は選択を増やせる人になりたい。ごみを増やしたいわけではなく、選択を増やすことによってよりよい判断に行きつけるからだ。それは例えばふるいによって粒を小さく、細かくしていく過程に似ているかもしれない。ふるいを沢山通すことによって粒は段々と小さくなっていくように。このような、選択を増やすことを実現させるためには、いくつかの方法がある。

 第一の方法としては、過ぎ去ったもの、すなわち過去の産物を減らしていき新しいものを取り入れるということがあげられる。大雑把に言えば、いわゆるステレオタイプな考え方などのものをゴミにするということだ。僕は紙を管理するのがとてつもなく苦手だ。小学校のころはよく朝もらったプリントを親に渡そうとランドセルを開けてみたらなくなっていた、というようなこともざらにあった。家においてある紙もそうで、テストをまとめていたファイルがどこかに行ってしまったこともあった。しかし、数年たつとタブレットなどの電子機器が学校に登場し、特に中学校に入ってからはお知らせなどほとんどが自分のデバイスに届くようになった。なくすということもなくなり、デバイスになってよかったとしみじみ思った。

 第二の方法としては知識や経験を増やしていくことだ。選択をするには当然選択肢が必要で、その選択肢は知識や経験から作られることが多い。また、それらがあったほうが選択をできる回数そのものが増えるからだ。近年キャッシュレス決済が増えてきている。従来通りの現金取引が減ってきているが、キャッシュレス決済をするにはそのアプリについて最低限の、ある程度の知識が必要になる。また、キャッシュレス決済を使用するとそれを運営している会社にある程度の割合を払わなければならないため、ペンションなどで現金払いという選択をしたほうが良い時もあり、これは経験に基づくものだ。このように、選択肢を増やす、より良い選択をする等の場合に知識や経験が必要だから、それを増やすことが重要である。

 確かに、選択をあまりに増やしすぎると迷いが生じてしっかりとした自分の意見を持てなくなる時がある。特に企業のような組織において、どんなに小さなグループでもそのトップに迷いがあるとそのもとで働く人たちは皆不安な状況となりグループ自体のパフォーマンスも低下する。しかしながら、選択を繰り返すことによってよりよい判断が下せ、結果良い方向へ進むことができる。フリードリヒ・ニーチェが「自分で選んだ苦しみは、運命の苦しみよりも価値がある。」といったように、選択を繰り返すことが枢要だ。たまに、ゴミ、特にぬいぐるみに哀憐の情を向けることがある。その複合的な理由の一つとして、そのゴミにとってゴミとなるということは運命であるからで、自らの選択の結果でないからだろうと推測できる。ゴミが自分で選べるなら、運命の苦しみよりも選択の苦しみを選ぶだろう。同情はひとえに選択の結果でなく、運命として与えられた物であるからだ。