目的ではなく手段として
()
年月日
今日の労働市場において、ギグ・ワークという労働者がアプリ上の「数字」や「スコア」として管理され、個別の事情や感情が介在する余地のない極端な効率化した働き方の導入が進んでいる。その典型的な例がUber Eatsの配達員である。労働者は名前や人格ではなく、アプリ上の「ID」や「現在地」としてのみ認識される。そのため、AIアルゴリズムが、渋滞や体調といった個別の事情を考慮せず、純粋に「最短距離」や「配達効率」のみで評価を下すのだ。もし、低評価が続いた場合、労働者と雇用者との対話の余地なくシステムから自動的に排除されることがある。このシステムは、利益を上げたい雇用者側にとっては有益であるが、労働者にとっても有益となっているのだろうか。労働者は、IDではなく人間である。
現代の社会は、物質的や利益が優先され、人間の心、価値観、感情は二の次に考えられてしまっている。
第一に考えられる原因は、日本が戦後の物不足の時代から急速に立ち直ろうとしたという歴史的な背景である。
私は、戦後の物不足の時代から急速な経済成長はものに対するありがたみの薄れをもたらしたと思っている。公園で犬の散歩をしていたとき、最新のiphonのスマホが落ちてあった。公園にいた小学生や中学生に手あたり次第聞いて回り、無事持ち主に返すことができたのだが、同じく犬の散歩をしていた四〇代、五〇代の方たちがこの一連の出来事から「最近の子は、物を大事にしないよね。」というはなしになっていった。私も含め一九九七年から二〇十二年の間に生まれたZ世代は、物不足の時代に生まれたわけではなく、お金さえ払えば何でも手に入れることが出来る、そんな物に溢れている時代に生まれた。そもそも、Z世代というのは、生まれた時からネットがあるデジタルネイティブ世代のことである。そのため、物だけではなく情報にも溢れた時代に生まれたということだ。
第二の原因として、資本主義の世界では、金銭的に換算される価値が優先されるという社会的な背景があげられる。
一八〜一九世紀の産業革命以降の経済活動によって地球温暖化、海洋プラスチック汚染、砂漠化、森林破壊といったさまざまな環境問題が生じた。森の役割というのは、二酸化炭素を吸収し、洪水を防ぎ、未知の病を治す薬草を育む。このメカニズムは人類にとっては計り知れない価値がありますが、資本主義の伝統的な計算式では、きれいな空気や豊かな森は、それ自体では「0円」とみなされてきた。しかし、木を切り倒して売れば「木材売上」になり、アブラヤシを植えて、パーム油を採取したら「油脂の輸出益」になる。自然の恵みを採取することにより、経済上の数字が動き出すのだ。本来、0円のものが金銭的価値をうみだすため当然のこと利益率は高くなる。そのため、森林伐採、同じ植物を同じ場所で大量に植えることによる生態系への影響などが引き起こされる。私たち、現代人はこの環境問題を止めるためにも、人間だけが利益を追い求めるのではなく地球の自然と向き合う必要があると思っている。これからも、人間とその他大勢の動植物がこの地球で共生していくためにも金銭的に換算される価値が優先されるという社会を変えていくことが大切だ。
確かに、ある程度の物質的な豊かさは人間生活の基礎として重要であり、また、ものを金銭的価値によって変換することで比較や交換を可能にし、客観的な「評価」に基づく意思決定を行うことができる。しかし、生活の基盤となる物質や金銭的価値に変換することが手段ではなく目的化してしまっているのが問題である。
私たちは、物質的や利益を第一に考えるのではなく人間の心を第一に考えるべきだ