ゴミの

   中3 すみひな(sumihina)  2026年4月1日

 私は朝、ゴミ捨てに行くのがとても憂鬱だ。きっと皆さんの中にもそういう体験をしたことがある人がいるだろう。私の家では、冬場などは特に凍えるような空気の中、冷たい金具を外してゴミステーションにゴミを入れなければいけない。その手間を経て回収されたゴミは、多くが種類別に分けられ、粉砕され、リサイクルされている。ゴミのようなもう使えないものでも、新たな資源として活用することができるのだ。私もこのような良い面を活用できる人間になりたいと思う。

 そのためには、物事の良い面を中心に見ていくことが大切だ。私は昨日道コンと呼ばれる北海道で行われる学力コンクールを受けた。結果は2週間後に帰ってくるらしいのだが、復習は覚えているうちにやったほうがいいと言われ昨晩、回答を見て間違っていそうなところをノートにまとめた。いざやってみると自分では勉強したつもりであったのだが、ボロボロな結果しか予想できず落ち込んだ。おそらく「つもり」であって知識が頭に入っていなかったのだろう。しかし、ものの見方によって自分の気持ちはもちろん、どう過ごしていくかが変わる。マイナス思考で、悪い面ばかりにこだわっていたのでは勉強できる時間もメンタルも共に削られていくばかりだ。合格確立やSSから学べることを探し、次の道コンや定期テストにどう活かせるかを考えるべきだろう。

 しかし教育現場においては全く反対のことが起こっている。もっぱら学校ではテストを行い、その点数によって成績をつけている。それによって行くことのできる高校までもが決められていく。「テストの結果が悪い=マイナスなこと」と決めつけ、それを子供たちに一生懸命直させようとしているのだ。このように子供たちが受け身で悪い面ばかりを突き付けられていたのでは、物事の良い面を見いだせなくなってしまう。さらに、このような環境では、子供たちは失敗を恐れるようになり、新しいことに挑戦する意欲を失ってしまう。本来、学びとは失敗や試行錯誤を通して深まっていくものであるはずなのに、その機会が奪われてしまっていると言える。だから、教育の減点主義のようなマイナス面の固定概念を植え付ける、社会の風潮を変えていくことが大切なのではないだろうかと私は思う。

 確かにゴミはゴミだ。しかしそのゴミの中にもいい所を見つけ出せるような考え方を持つことは、それ以上に大事だ。私たちは「与えられた情報」を信じ込むのではなく、そのなかにいい面を見つけ出せるようにあきらめずに挑戦しながら生きるべきだ。腐ったミカンは放っておくと周りのミカンも腐らせていってしまう。教育のたとえとしての意味は、一人のルールを守らない生徒がいるとクラス全体がだらけてしまうというものだ。この考えは一理あるが、1人を「悪い存在」と決めつけ、「排除すればいい」という考えにつながることもあることから批判されることが多くなっている。だが、腐ったミカンを発生させる前にどうしたら腐らないかを考えるべきではないだろうか。この答えが出たとき、私たちは初めてゴミのなかにいい面を見つけたと言えるのかもしれない。