問題との触れ合い

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 昨今、人と触れ合える機会が増えてきている。特にインターネットは、もはやなくてはならない代物だ。しかし、それによってより不幸になる人が出ている事もまた事実である。ほかの人やモノと触れることで、自分が物語の中の主人公などではなくただの人間だと痛感させられてしまう人が増えている。おそらく、こういうインターネットを通じて、人や情報と触れ合うことのメリットデメリット、具体的な対策は多くの書籍ですでに挙げられていることだろうからあえて触れない。では何を論ずるのか。ここからはなぜ触れ合う機会の多さが自己肯定感が下がってしまうのか。という方向性で、物事を見て行きたいと思う。現代のように人や情報と過度に触れ合う世界は、いずれ我々の自己肯定感を下げて行ってしまうこの問題にこそ、着目するべきである。

まず、人間とは社会性が高い生き物で、何かの役に立ちたいという欲求があるからだ。多くの人には、世のため人のためになる行動をしたいという欲求がある。それはボランティアのような小さいものだったり、ノーベル賞やギネスなどの偉業、歴史に残るものだったりする。しかし人や情報と触れ合える機会が多いと、自分のしていることに自信が持てなくなってしまう。自分以上に社会の役に立つ人間を目撃することになる。他を顧みず、自分のスペースをきちんと認識して生活できる人なら何も問題はないだろう。しかし、多くの人間は上を知ることで、自分のしていることがみじめになってしまうのもまた事実だ。

また、多くの物語を読む、つまり多くの超人的な主人公を見るからだ。幼少期にそういうものと触れ合うと、自分もそういう物語の一端を担う人間だと思う。そうでなくとも、比較してしまう。一般的なモブとは違い、華々しい活躍をする主人公のストーリーばかりに感銘を受ける幼少期を送れば、自分もそういうものであると思っても仕方がないだろう。簡単にまとめると、子供のころにスーパーヒーローなどの人間を超越した超人的主人公と触れる機会が多いと、自分も少なからず影響を受けてしまうことがあるということだ。むろん、この世にある文学作品や大衆娯楽な度が悪だとは決して言わない。しかし、それらと触れることで、よくない結果が招かれることもまた事実であろう。

 もちろん、昨今の情報機器らの進歩を否定するわけではない。確かにそれらは、われわれに弊害をもたらしたが、それを加味してもおつりがくるほどに、人類文明の進歩に多大な貢献をした。それはわざわざ指摘するまでもない、自明の理というべきことであろう。しかし、だからと言ってその弊害に目を向けず、見て見ぬふりをするのは間違っている。何事も、問題を解決する前に、問題そのものを認識する必要があるのだ。我々は、その段階を飛ばしてはならないし、飛ばすこともできない。問題を認識しなければ、解決しようと思うことでさえできないからだ。我々には目がある。その目で、問題を見つけ、ふれあい、解決へと向かうべきなのだ。