はるさん、あなたの作文はとても深く考えられていて、自然と現代のデジタル世界の対比がよく表現されています。
まず、身近な道の変化から始めて、自然の大切さを具体的に描写(びょうしゃ)しているところが素晴らしいです。
自分の体験や周囲の様子を交えながら、自然が失われていく現状を伝えているので、読者に強い印象を与え(あたえ)ています。
また、スマートフォンやゲームの便利さと冷たさを対比させる表現もわかりやすく、意見がはっきりしています。
「自然とは人間にとって、自らの生命の根源を再確認するための鏡である」という最後のまとめも、とても力強く、名言のように心に残ります。
全体を通して、自然の価値を守りたいという強い思いが伝わり、説得力のある文章になっています。
これからも、自分の意見をはっきりと持ち、具体的な体験や考えをしっかり書いていってください。

項目(こうもく)評価】
是非(ぜひ)の主題がよく書けています。
理由がよく書けています。
体験実例がよく書けています。
名言がよく書けています。

 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎

字数/基準字数:1701字/600字
思考点:67点
知識点:84点
表現点:90点
経験点:83点
総合点:82点
均衡(きんこう)点:1点

 


■思考語彙 16種 16個 (種類率100%) 67点
 もちろん,。しかし,。だからこそ,。もしも,いるため,いると,か一方,するため,それこそ,だろう,でしょう,なければ,よれば,を考える,人間にとって,場所によって,

■知識語彙 67種 92個 (種類率73%) 84点
一時,丁寧,不安,不自由,世界,中庭,中毒,五感,人工,人間,今時,住宅,体験,便利,元気,公園,冒険,利便,制限,刺激,即座,友達,同士,埋没,場所,変化,夢中,大切,娯楽,子供,希薄,必要,意味,感性,感覚,感触,成長,指先,擬似,放課後,文明,昂揚,時間,本当,根源,植木,没頭,注意,現代,現実,理由,環境,生命,画面,確認,管理,綺麗,自然,舞台,行動,視線,証拠,足跡,逃避,遊具,過酷,都合,

■表現語彙 138種 213個 (種類率65%) 90点
いつ,いるため,ここ,こと,さ,さまざま,さん,すべて,するため,そこ,それ,たくさん,たち,どこ,どちら,のっぽ,はじめ,みんな,よう,わけ,ゲーム,スマート,ドラえもん,バランス,フォン,マンション,一,一つ,一時,丁寧,不安,不自由,世界,中,中庭,中毒,五感,人,人工,人間,今,今時,住宅,体,体験,便利,元気,公園,冒険,利便,制限,刺激,力,化,即座,友達,同士,周り,土,地,埋没,場所,変化,夢中,大切,娯楽,子供,希薄,形,後,心,必要,性,意味,感性,感覚,感触,成長,我々,所,手入れ,手触り,指先,擬似,放課後,文明,日,昂揚,昔,時間,木,本当,枝,根源,植木,楽しみ,没頭,注意,現代,現実,理由,環境,生命,町,画面,登り,的,短め,確認,私,空き地,管理,綺麗,緑,自ら,自然,舞台,花,草,蜜,行動,視線,証拠,話,足跡,身,逃避,遊び場,遊具,過酷,達,都合,重み,釘付け,鏡,風,鬼ごっこ,鮮やか,

■経験語彙 43種 59個 (種類率73%) 83点
おる,くれる,しまう,せる,つく,なさる,よる,られる,れる,を考える,与える,伸びる,作る,使う,偏る,切り取る,動かせる,取り戻す,吸う,埋める,変える,失う,尽くす,広がる,広まる,弱める,思い当たる,感じる,投じる,折れる,持つ,消える,溢れる,生きる,研ぎ澄ます,調べる,踏む,透き通る,進む,遊ぶ,違う,集う,集まる,

■総合点 82点

■均衡点 1点
 

画面という擬似体験
   中1 はる(akiiko)  2026年3月4日

 画面という擬似世界

 この市場へ行く道は、いかにも自然発生的な細い優しい道だ。家と家との間に何となく作られた人間のふみならした道だ。ところが、その道は最近アスファルトが敷かれてしまった。夏の日など、かごを下げて歩いてみると、いかにもむんむんして照り返しがきつい。それに何とも風情がなくなった。もちろん舗装された道も場合によっては大切である。ほこりを浴びせかけられる街道筋の家などは気の毒で見られない。一刻も早く舗装しなければ、道筋の家は窓も開けられない。だが、道が一番道らしいのは、人間の暮らしをあたたかに支え、色々なものを発見することのできる踏み締められた道である。このことだけは忘れてはならないのだ。

 かつて日本人は花鳥風月という言葉があるように、四季の移り変わりを愛で、自然と共に生きてきた。しかし現代の私達の視線の先にあるのは、険しい山々や、澄んだ川ではなく、スマートフォンなどの画面だ。便利さを追い求めた結果、私達は自然という「思い通りにならないもの」を遠ざけ、整えられた「人工的な世界」の中で満足している。

 私の日常も、その例外ではない。放課後、周りの友達が夢中になるのは、風が透き通る公園ではなく、中毒性のあるゲームやスマートフォンだ。画面の中はとても鮮やかで、冒険の舞台はどこまでも広がっている。だが、そこには風の冷たさも、草を踏んだ感触もない。指先一つで思い通りに動かせるこの世界は、あまりに都合がよく、そしてどこか冷たい。まるで擬似体験だ。このように、友達や周りの人が、現実とは程遠い世界に逃避してしまったのには一つ、思い当たる理由がある。私のマンションの中庭は自然で溢れており、のっぽに成長した木、場所によって硬さが違う土、元気に伸びていった草、丁寧に手入れがされている植木。この中庭は、さまざまな緑で埋め尽くされている。私達はその緑と共に、すくすくと成長していった。だがある日、折れた枝や足跡のついている土を見て、マンションの管理人さんは即座に子供たちに注意した。

「ここは遊ぶ場所ではない。自然を大切にしなさい。」

この話はみるみると広まっていき、中庭で木登りする人も、花の蜜を吸う人も、鬼ごっこをする人も、いつしかいなくなっていた。それからだんだんと、ゲームやスマートフォンに没頭するようになっていき、今は放課後、友達同士で集まったとしても、視線は友達ではなく、画面に釘付けだ。私はスマートフォンを持っていないし、ゲームにも「一時間」と短めな制限時間がついているため、あまり「中毒」という形までにはなっていないが、周りの行動などを見ていると、いつ私があのようになってしまうのかが、不安でしょうがない。

 今時、昔遊び場だった所が綺麗な住宅地へ変えられてしまうことも少なくはない。もしも「ドラえもん」が現代の話だったら、みんなの集うあの空き地はなく、たくさんの作られた遊具のある公園で、スマートフォンなどを使いながら話が進んでいってしまうだろう。町が便利に作り変えられる中で、自然は切り取られ、私達の五感を刺激する場所は少しづつ消えていった。調べたことによれば、こうした環境の変化は、私達の心から、「自然を感じる力」を弱めてしまうという。

 もちろん、ゲームやスマートフォンなどの人工的な環境が、すべて悪いわけではない。それは文明が進んだ証拠であり、私達に新しい楽しみを与えてくれる。しかし、どちらか一方に偏るのではなく、バランスを考えることが大切だ。そして、失われつつある「体で感じる感覚」を、取り戻す必要がある。

 自然とは人間にとって、自らの生命の根源を再確認するための鏡である。ゲームをはじめとする人工的な娯楽は、一時の昂揚と利便性を与えてくれるが、現実の重みや手触りを希薄化させる。だからこそ、我々は画面という擬似世界に埋没することなく、あえて不自由で過酷な自然の中に身を投じ、感性を研ぎ澄ませなければならない。それこそが、本当の意味で「生きる」ということなのだ。