あだ名はよいか
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年月日
私は習い事や学校でも「あだ名」で友達の名前を呼んでいる子をよく見かける。もちろん私もいつも当たり前のように「あだ名」を使っている。「あだ名」はうまく使わなければいけなく、とても難しいものだ。「あだ名」とは人間関係を円滑にするための「ツール」、つまり「手段」であると私は考える。そのような、「あだ名」を使うことについて私は賛成だ。
理由は第一に、「あだ名」で呼ばれると、緊張したときでも、安心感をとり戻すことができるからだ。以前、学校の授業で「将来なりたい職業」についてのスピーチをした。私は、スピーチのトップバッターを務めることになった。大勢の中でのトップバッターは、スピーチの良いスタートダッシューをきるためにも責任重大であったため、とても緊張していた。手はふるえ、汗もかくほど、胸がドキドキした。そんな私に、友達があだ名で「頑張れー」と呼んでくれて安心感をとり戻せた。これは日々、親しみの深い友達に「あだ名」で呼ばれていたからこそできたことだ。
理由は第二に、特徴や個性を示すあだ名は本名よりも覚えやすく、印象に残りやすいからだ。以前、クラスに転校生が来たとき、最初は真面目に「〇〇さん」と本名で呼んでいた。しかし名前を忘れてしまったり、間違えてしまったりすることがあった。そこから話したり遊んだりしていくうちに仲良くなり、あだ名を使うようになると当たり前のように関わることが多くなり、名前も間違えることがなくなった。あだ名は良い関係を築くサポートをしてくれるのだ。
確かにあだ名によっていじめが発生したり、人間関係が悪くなったりすることもあるかもしれない。この考えは間違っていないと思う。しかし、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言がある。あだ名はうまく使うことで人間関係をよりよくすることができるのだ。うまく使うとは、相手の気持ちに配りょすることだ。みなさんは
Sade’sという、二〇三〇年までに達成しなければならない十七の目標をご存じだろうか。しかし、目標を掲げつつも全て達成できる余地はない。私はこのままではSDGsのためにしてきた努力は水の泡になってしまうと思う。SDGsに、「ジェンダー平等を実現しよう」という目標がある。人との距離を考えつつ、色々な人と関わることが必要だ。あだ名はこれを実現するためのツールである。だから、私はあだ名を使うことはよいことだと思う。