別れと出会い

   小5 みきひさ(mikimiki)  2026年4月1日

 「六年生がいない!!」

修了式の時、隣の六年生が座る所が空いていることに気付いた。修了式の時に、初めて六年生がいないことに気付き、寂しさを感じた。そして、隣の空いている所に僕も座るんだなと思い、自分が下級生のお手本になることを心に決めた。

 母にも卒業式とその後の小学校の様子を聞いた。母の小学校では、一年生から六年生が体育館に集まり、卒業式をする。そして、四年生から六年生のクラスは同じ階にある。だから、卒業式後に小学校に行くと、

「六年生の二クラスはやっぱり空っぽだね。」

と、六年生のクラスの前を通って図工室などに行く度に六年生がいないことを実感する。六年生がいない教室を見て、まるで、心にぽっかり穴が空いたみたいと感じたようだ。僕と母の共通点は、六年生がいなくなったことに対して、寂しく思っていることだ。

 僕が、一番驚いたのは、六年生がいないはずなのに、学校の日常の様子が全然変わっていなかったことだ。なぜ変わっていないのか不思議に思った。だから、なぜ変わっていないのか考えてみた。僕は、六年生が卒業しても、学校の様子が変わっていない理由は、二つあると考えている。一つ目の理由は、僕は卒業式に参加していないからだろう。僕の小学校では五、六年生が卒業式に参加し、僕は四年生なので、参加していないのだ。二つ目の理由は、卒業式から修了式まで一日だけしかなかったからだろう。つまり、六年生がいなかったのは、一日しかなかったため、日常には影響がなかったのだろう。このように、話をしてみると、僕と母とは、相違点もあることが分かった。母は六年生がいないことを日常的に実感したが、僕はあまり実感しなかった。もし、僕が6年生で、下級生から学校の様子がほとんど変わっていないと言われたら、悲しくなるだろう。なぜなら、六年生は学校で目立っていなくて、いてもいなくても変わらないと思われていると解釈するからだ。僕は、多くの生徒の印象に残るように、毎日、朝登校した生徒に挨拶をするように心掛けようと思う。

 次に、なぜ卒業式をするのか考えてみた。なぜ考えることにしたかというと、作文を書く前、つまり、卒業式の必要性について考える前までは、勝手に卒業したりすればいいと思っていたからである。インターネットで調べてみると、卒業式をする理由は、感謝と次への意志を示す「節目」であり、過去を振り返り、新しい生活に向かう心構えをするためと書いてあった。また、卒業式の目的は、四つあった。一つ目は「教育の節目・成果の確認のため」、二つ目は「次のステージへの旅立ちのため」、三つ目は「感謝と成長の共有のため」、四つ目は「別れと旅立ちを情感するため」だと書いてあった。この四つの中でも、特に納得できたのは、四つ目の「別れと旅立ちを情感するため」である。別れがきちんと分かるように卒業式はみんなで行う必要があるのだ。卒業式の意味を調べたら、わざわざ式をする意味があると思った。

 人間にとって、「別れ」とは「出会い」である。六年生が卒業したら、また、新しい一年生が来る。別れと出会い、この二つの関係は、根本では同じである。つまり、別れと出会いの関係は表裏一体なのだ。別れと出会いは「表裏一体」の必然的なサイクルであり、成長のステップということが分かった。これから、別れと出会いを大切にし、様々な式の意味を深く考え、参加したい。

旅立ちは友達(たびだちはともだち)! 六年生が空の遠い所まで飛んで行った。