清書

   中2 あおまち(aomati)  2026年3月4日

 彼女が市場に行く道がアスファルトに変わった。でも彼女は土の道のほうが好きだった。道は狭くて、アスファルトが無慈悲だと思った。なぜなら土の道には拾うものがたくさんあったからだ。さらにいつも発見があった。しかしアスファルトにはそれがない。土の道には、彼女の思いがたくさんつまっているからだ。例えばきれいな石のような小さなものがこの後の人生に響くことがあるかもしれない。ある日、ある人からもらった石があって、その石で、新しい遊びが生まれた。

 僕が、外国に住み始めたとき、日本になかった土の道路がたくさんあった。しかし七年間のうちに、それも少しずつアスファルトにかわっていった。そして、現在、つちのみちは、もう街中ではみられなくなった。あるとするなら、コンクリ―トの道が壊れて、セメントか崩れてる。さらに最近アフリカカップの工事でさらにアスファルトに覆われた。そのため道が工事中で、セメントを上から流すから、歩く道がなかったので歩きにくかったりした。その間は筋肉痛などで、足が痛かった。なのでとても苦しんだ。

 去年の夏、日本に帰った時京都の友達の家に行ったら、家の前の道が砂利だった。そこには、この長文のなかの土の道ではないが、草などが自然に生えていた。そして、よるに歩くと、いちいち音が出て、防犯のようにもつかえる。しかし近所に迷惑をかけずに歩くのは難しいと思う。しかし僕は家の前に合った方がいいと思う。

 便利さより好奇心。人間にとって便利なものはよいが、時に不便なものの方が好奇心を搔き立てるときもある。