社会の生き方
中2 あかさふ(akasahu)
2026年4月2日
私たちは日常において、いつもある視点からある光景を見る。視点だけではなく、人間の認識一般は、ある立場からの有限のアプローチである。
自分の言葉がーー有限で一面的だと、いつも承知している人は、やがて、実験的に自分の視点を変え、多様なアプローチを試みることになる。
そういった表現は、ヨーロッパに古くから伝えられた、巧みに表現する技術体系であるレトリックと深い関係にある。
レトリックは発見的な認識への努力に近い。こんにち、価値の多様化ということがしばしば問題になる。それはモノの見かたの多様性という問題でもある。
こんにちほどレトリック感覚の必要とされるときは、かつてなかったように思う。
このように、現代ではレトリックという一つのものを異なる言葉で表現するという多様的な感覚も必要になってきた。
私の意見としては、一つの問題は最初にいろいろな視点で考え、最後には意見を一つに絞り、考えることが大切だと思う。
この意見は、「最初にいろいろな視点で考える」と、「最後は考えを一つに絞り、考える」という二つの部分でできている。
なぜ、この二つになったのかという理由をそれぞれ一つずつで説明していこうと思う。
まず最初に、私の意見の一部が「最初にいろいろな視点で考える」というものになったのかを説明しようと思う。
私は今数学のドリルをやっている。簡単から難しいまで多種多様な問題が出てくる。
私は難しい問題に当たった時、最初に「こうかなぁ」と目星をつける。
しかし、目星が全然違う場合もあります。そうすると時間をなくしてしたり、混乱して、その後の問題も解けないことがある。
このように最初から一つの視点で考えるとデメリットがたくさんあり、それによりとても困る。
なので、それを対処するため、「最初にいろいろな視点で考える」というのが大事だと私は思う。
しかし、大事なのはそれだけではない。もちろんいろいろな視点で考えた後は、一つの視点に絞ることも大事である。
この「最後は考えを一つに絞り、考える」というものになったのは、一般的には意見を一つに絞るからである。
というか、必然的に考えを一つに絞らなければいけないのである。考えるのは私一人しかいない。だからである。
また、集団ではいろいろな意見が出たとしても、最終的には一つか二つ程度の意見に絞られる。
このように、私はこの二つの理由から、「最初にいろいろな視点で考え、さいごは考えを一つにまとめる」という考えにたどり着いた。
一般的に社会では多様な考えを求められながらも、一つの意見に決めることになる。これになれるためにも、
幼少期からいろいろな視点で考え、意見を一つに絞ることをすれば、社会でも生きてい行けると思う。
日常生活でも、困ることはいっぱいあるそれもこの考え方なら、最善の方法で絞れると思う。
あと、最善の方法で絞れるようにいろいろな考えを出す練習をしたり、逆に考えを絞り込む練習もすると社会で役に立つかもしれない。