広い視野で良さを知る

   中3 あかるら(akarura)  2026年4月1日

 「ゴミ」という言葉は一面的である。なぜなら私達が「ゴミ」として扱っているものは多方面から見れば、活用することのできる大切な資源になる可能性を秘めているからだ。家庭科の授業で見た食品ロスの動画では、一つの食品が店頭に並ぶ前に、見映えの良くない商品を食べられるのにも関わらず廃棄してしまう現状について学んだ。しかし消費者の私達も例外ではない。野菜などを切る際は特に栄養豊富と言われる皮やヘタを切ることは少なくないだろう。また、ボランティアで行うゴミ拾いにおいて、動物にとっての食料や住み家となる落ち葉を「ゴミ」として拾い捨ててしまうことは、環境破壊に繋がる大きな問題である。だからこそ、私は広い視野を持って、物事の良い面を見ることのできる人間になりたい。

 その方法として第一に、周りの意見に過度に左右されないことだ。確かに周囲の助言や考えをほどよく自分の指針に取り入れることは考えの発展や成長への力となりやすいが、他者の話に依存するようになると、自分を見失い、偏った思想へと繋がりやすいことも確かである。私のクラスに一人、とても物静かな人がいた。常に一人で行動し、グループワークが行われていても彼女のマイペースさゆえに合わせようとする姿勢が見えにくく、そのためか、中には良い印象を持っていない友人もいた。私自身もほぼ関わりがなかった。しかし、学年末になり理科の実験チームで同じ班になる機会があった。話したことがなかったため不安ではあったものの、今まで感じていた彼女に対する印象に固執するのではなく、つまり自分の視野を自ら狭めてしまうのではなく、相手の良さを引き出し、理解し接することを心がけた。実験の計画立てや準備、実行、後片付けを通して、彼女は静かだか気の利く優しい人だと気付くことができた。彼女の気配りが実験をよりスムーズに進めることに繋がったと言える。もしも私が友人の意見を通して彼女に先入観を持ってしまえば、双方にとって居心地の悪い関係となってしまっただろう。近年SNSを中心に他人の考えや情報に振り回されるトラブルが社会問題化している。今こそ、一つの物事に対して、相手だけでなく「自分」としての広い視野の形成を意識すべきだと言えるだろう。

 第二の方法として、相手との交流を通してそれぞれの良さをたたえ合う社会風土を作っていくことだ。クラスでの対話の中でも反論があったとしても、まずは相手の意見を受け止め、良さを知ろうとする姿勢の表明が議論の風通しを良くし、深みを与えてくれることは少なくない。相手を批判しているだけでは新しい着想を得ることは難しくなる。これは歴史上でも通ずる面があるだろう。冠位十二階など数々の改治改革で有名な聖徳太子は役人が守るべき道徳である憲法十七条を作成したが、その一つに「和を以て貢しとなす」という条文がある。これは単にけんかや争いを行うな、という意味ではない。相手を尊重し、議論していく中で互いの立場や良さを認め合う、つまり「対話を通じた調和」が必要だと解いたものである。だからこそ、国が安定し、さらに発展していく基板づくりへと繋がったのではないか。その後も同じような考え方は日本、そして世界の歴史上何度も登場する。やはりどの時代においても、相手と交わり、それぞれを対等な立場で理解し尊重していく必要性は感じられていたのだ。現代でも同様である。SNSと対面両方で多くの人々と交流しているものの、「物事の良い面を見つめる」機会が減っているのではないかと私は考える。相手を批判するコメントや絵文字、動画を簡単に送信することの増えた今、何か善で何が悪かを改めて理解し、その上で良さを知り尊重していこうと働きかける社会を皆が作っていくべきではないだろうか。

確かに欠点に目を向け、正していくことも大切だ。しかし「理解しようとすることが、知恵の始まりである。」という名言がある。私は広い視野を持って、物事の良い面を見ることのできる人間になりたい。