客観視と内面的
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年月日
私は、身長156cmで体重は48㎏。学校の成績は普通くらいだ。このようなことがいくらわかっても、私自身を説明したことにはならない。なぜなら、私個人を数値化しても夢や趣味などの内面的なものが全然わからないからだ。私は、客観的に評価される「私」と内面的に見られる私があると思う。その二つの均衡を保って生きていくべきだと思う。なぜそう思ったかというと、他人と比べられてそれだけで評価されるだけだと自分自身が数値にされたようになって自分の内面的なものがすり減っていくからだ。かといって内面的なものだけを大切にしていくと他人と合わせるのが難しくなるからだ。なぜなら、世界の見え方が自己中心的なものになってしまうからだ。なぜそうなるかというと、自分の夢、自分のしたいこと、自分の趣味などを優先してしまうと、自分にしか意識が向かなくなって他人から見ている自分がわからなくなってしまうからだ。
確かに、自分を客観視することが一番大切だという人もいるかもしれない。私はその意見を言っている人の気持ちがわかる。そのように思う理由は目標ができて努力ができるからだ。わたしはそのようなことを体験したことがある。小学六年生時の2学期末の時だ。私は通知表をもらった。その通知表はあまりよくなかった。特に算数や国語が悪かった。私は算数や国語ができるようになろうと思った。だから、私はどのようにしたらできるようになるかという道筋を自分で考えてその道筋にそって勉強をした。どのような勉強法かというと、まず、国語からやって、つぎに算数をやった。その理由は、算数は論理でできているから、論理的思考を覚えるためには国語がいいと思ったからだ。そのように頑張っていると成績がぐんぐん伸びた。私は、通知表で自分を客観視できなかったら国語や算数ができなくて一生困っていただろう。だから、私は自分を客観的にみることが自分の力を伸ばすことができて一番いいという人の気持ちがわかる。
しかし、客観的な指標ばかりにとらわれると自分自身が分からなくなってしまうという人もいる。私はその意見を言っている人の気持ちがわかる。なぜかというと、客観的に自分の内面的なものは見ることができないからだ。小学4年生の時の話だ。先生が「夢についての作文を書きましょう。」といった。そのあと先生は「夢の内容については評価しません。その理由は、人それぞれだからです。先生は作文の構成で評価を付けます。」といった。ちゃんと考えて書いている人もいた。しかし、思ってもないことを夢にして構成もすぐに作って作文を完成させた。1週間後私たちが書いた作文が返ってきた。その結果私はA,B,CのAだった。私は驚いた。なぜかというと、内面的に評価されずに客観的に評価されたからだ。私はその授業が終わった後の休み時間の時間にある生徒が「自分の夢はその程度か。」と言っているのを聞いた。それを聞いた私は、表面的にみられているだけで内面的なことは評価されていないから仕方がないが、そのようなことをずっと思っていたら自分がなくなってしまうのではないかと思った。
世界には他人との比較の中で評価される自分と、自分自身の物語の中でわかる自分とがある。私はどちらの視点も大切だと思う。その理由は、どちらかだけを大切にしていたらどちらかが暴走してしまったときにそれを止めることができないからだ。だから、私は二つの均衡をとって現実の社会をたくましく生きていくべきだと思う。