皆で議論しよう
社 さゆ(akiimu)
2026年4月2日
死ぬべき臓器は他者において復活する。一方それを引き受けた他者も、委ねられた臓器をけっして自分のものとして同化するわけではない。その人の身体は免疫抑制剤によって自己の固有性を弱めながら、他者の臓器を受け入れているのだ。そのようなリレーのうちに身体的生命はそれ自身の論理を貫いており、部分身体の受容と復活をとおして、不老長寿とは別の「不死性」のきらめきさえのぞかせている。
私たちは、技術の進歩に見合うだけの精神を持つべきだ。しかし、現代は、技術の進歩が速く、追いつけていないという人がほとんどなのではないか。実際、私もその一人で、気づいたらAIが登場していた。今のままではなく、これからは技術の進歩につれ、倫理観も変革していくべきだ。
そのための方法としては第1に、現実から目をそらさず、問題点を明らかにすることである。確かに、現実を見ることは怖く、できれば見ないでいたい。しかし、現実に目をそむけているばかりでは成長できない。例えば、勝ち負けが出る勝負事をした際に、負けてしまい、落ち込みまた次頑張ればいいやと思っている人はいないだろうか。私も学生の時そう思っていた。落ち込むのではなく、自分を立て直すことは大事なことではあるが、現実に目をそむけるのは次同じ場面に遭遇してもまた負けてしまう。やはりなぜ負けたのか、どこが足りなかったのか振り返り次に繋げるために何をしたらよいのか考えることが重要なのである。私も勝負事ではないが、小学生の時通っていたダンススクールに選抜メンバーがあり、その選抜メンバーに上がるために苦労した経験がある。通い始めた最初は楽しく、ダンススクールに行くのが楽しみであったが、時間が経つにつれて、私より遅く始めた子達が選抜メンバーに上がるようになり、ダンススクールに行くのが辛くなってしまったことがあった。その際にそのままの現状の自分で満足するのではなく、何が足りないのか先生に積極的に聞くように自分から行動するように心がけるようにした。その結果選抜メンバーに上がることができた。この経験から現状の自分に満足するのではなく、自分に足りないものは何か考えるようになり、成長できている。
また、第2の方法としては、問題に対しては、大勢で議論をする場を作ることだ。すなわち、問題に大勢で議論し向き合うことは相手の価値観や考え方を知ることができるのだ。つまり、社会は皆で作り上げていくものなので、1人1人の意見を大切にしていくべきではないか。平成21年5月21日から実施される裁判員制度は、実際の刑事裁判に一般の市民が関わり、裁判官と一緒に刑を決めるというものだ。他の人間の罪を裁き、その人生をも左右する裁判員には、将来、誰もがならなければいけなくなる。つまり、1人のみの意見で物事を決めるのではなく、皆で話し合い議論を重ねることが重要ということなのだ。そのためには、教育の場で議論する機会を増やしていくべきなのではないか。今はタブレットでの授業が主流となってきているが、タブレットを使う時間とは別に皆で顔を合わせて意見を交わす時間を取り入れていくべきではないだろうか。つまり、学生の時から議論する場に慣れることで、社会に出てから議論する場にも適切な対応ができ、より良い社会作りに貢献できるような人材を増やしていくべきなのだ。
確かに、技術の進歩は目覚ましく、人間の意識の方がついていけなくなりがちである。しかし「技術は人間に奉仕すべきであり、人間が技術に奉仕してはならない。」という名言もあるように、人間が飲み込まれるのではなく、機械などを操作して利用するのは人間なので、使えるものは使い、上に立って考え方も時代と共に変化していくべきなのだ。