偏見を捨て

   中1 あこまき(akomaki)  2026年4月2日

 ふだん私たちは、コインを丸いものとして見なしている。けれども、もちろんコインは、年中円型に見えるわけではない。水平方向から眺めれば、あきらかに、薄い長方形に見えるはずだ。しかし、なぜかコインは長方形だということに違和感を感じるのである。レトリックは、私たちの認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえに、もっと別の視点に立てばもっと別の展望がありうるのではないか、、、と探究する努力をすることでもある。レトリック感覚は、発見的な認識には欠くことができない上に、人をできるだけよく理解するためにこそ必要なのだ、ということになる。新しい視野を獲得するためにも、また、相互理解の為にも、こんにちほどレトリック感覚の必要とされる時は、かつてなかったように思う。何事にも、物事を多角的に見る事は大切なのである。そのようなレトリックの様に、物事を多角的に見ることに私は賛成だ。

 第一の理由に、他の視点から見てみると感じ方が違うからだ。私には、ある一人の同級生との関係を思い出した。彼は、もともとクラスの中で孤立していた。彼は人のことを毎日の様に嘲笑し、先生に喧嘩を売ったりなどと言った様々な目に余る行為をしてきた。クラスの人からは、関わらない方が身の為と言われているほどだった。私も、彼の第一印象は、あまり良いとは思わなかっただろう。しかし、実際に話しかけてみると、トーク力があったり、賢かったり、ゲームをするのが名手であったりと、多様な良い所を見つける事ができた。一つのことでも、全く別の視点から物事を見てみると、感じ方が変わることを実感する事ができ、関心をした。

 第二の理由に、視野を広げると未来の可能性が広がるからだ。皆さんは、アメリカの黒人奴隷の歴史をご存知か。当時のアメリカ社会では、黒人は頭が悪く、下等とみなされ、売買可能な所有物として扱われてきた。黒人は、人として扱われず、まるで家畜の様に扱われてきた。しかし、黒人は全ての人に何かしらの才能があり、飛び抜けて賢い人がいたのかも知れない。例えば、ハリエット・タブマンだ。ハリエットは、元黒人奴隷で、いざ南北戦争の戦場に向かうと、彼女の知恵が働き、団結力で軍隊を率いた。現代では、アメリカ元大統領バラク・オバマなどといった、たくさんの優秀な黒人が活躍する社会となっている。偏見や思い込みをしていると、その人の将来や未来の社会の可能性を潰すことに繋がってしまったのではないだろうか。

 しかし、時には一つのことを突き通すことも大切である。代表的な例とすれば、お正月料理だろう。おせち料理といえば、栗きんとんや、数の子だろう。その様な重箱に入っている料理には、一つ一つ意味が込められている。栗きんとんは、財運アップ、数の子は、子孫繁栄などだ。しかし、それをチキンや、ケーキに変えてしまったらどうだろうか。日本特有の和の料理ではなくなり、意味などを考えなくなってしまうのではないだろうか。だから、いろいろな方向の考えよりも、受け継いできた文化を大切にする方が良いこともあるのだ。しかし、アインシュタインは、『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。』と言った。この様な言葉があるように、でも、やはり、多角的に見ることで、視野が広がり、より、様々な相手の良いところを見つける事ができるのである。人は見かけによらぬもの。外見や、服装ではその人の本質や能力を判断する事はできないのだ。偏見を捨て、多角的に物事を見る事が大切だと私は思う。