人間関係のサポーター

   中1 あきゆれ(akiyure)  2026年4月1日

  私は習い事や学校でも「あだ名」で友達の名前を呼んでいる子をよく見かける。もちろん私もいつも当たり前のように「あだ名」を使っている。私が普段あだ名を使っていてあだ名には、相手との心の壁を一瞬で取り払い、親密度を深める「魔法のような力」があると感じる。「あだ名」はうまく使わなければいけなく、とても難しいものだ。「あだ名」とは人間関係を円滑にするための「ツール」、つまり「手段」であると私は考える。そのような、「あだ名」を使うことについて私は賛成だ。

 理由は第一に、「あだ名」で呼ばれると、緊張したときでも、平常心をとり戻すことができるからだ。以前、学校の授業で「将来なりたい職業」についてのスピーチをした。トップバッターは推薦で決めることになった。私は流石にトップバッターにはならないだろうと他人事として考えていた私に罰が当たる。なんと推薦でトップバッターが私に決まってしまったのだ。そして結局私は、スピーチのトップバッターを務めることになった本番の日、大勢の中でのトップバッターは、スピーチの良いスタートダッシューをきるためにも責任重大であったため、とても緊張していた。手はふるえ、汗もかくほど、胸がドキドキした。「間違えたらどうしよう」「スピーチの原稿がとんだらどうしよう」などと様々な不安なことが頭によぎる。そんな私に、友達があだ名で「頑張れー」と呼んでくれた。友達からあだ名で呼ばれると、なぜか安心する。これは日々、親しみの深い友達に「あだ名」で呼ばれていたからこそできたことだ。平常心を取り戻すことができたのだ。これによって「頑張ろう」というスイッチが入った。結果スピーチは大成功。クラスのみんなから大きな拍手をもらう。とても嬉しかった。

 理由は第二に、特徴や個性を示すあだ名は本名よりも覚えやすく、印象に残りやすいからだ。以前、クラスに転校生が来たとき、最初は真面目に「〇〇さん」と本名で呼んでいた。相手に良い印象をもってもらおうと必死であった。しかし名前を忘れてしまったり、間違えてしまったりすることがあった。私はその時「なぜ忘れてしまうのだろう」など自分をとても責めていた。そこから話したり遊んだりしていくうちに仲良くなり、あだ名を使うようになると、名前も間違えることがなくなった。特徴的であるあだ名は覚えやすいのだ。あだ名は良い関係を築くサポートをしてくれるのだ。今でもその子とは遊んだり、話したりして良い関係を築いている。

 だが、相手が嫌な気持ちになるようなあだ名は使ってはならない。もし、使ってしまえば逆効果だ。良い人間関係を築く邪魔をしてしまう。このような面から、あだ名によっていじめが発生したり、人間関係が悪くなったりするため、あだ名はよくないと考える人も確かにあるかもしれない、この考えは間違っていないと思う。しかし、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言がある。あだ名はうまく使うことで人間関係をよりよくすることができるのだ。うまく使うとは、相手の気持ちに配りょすることだ。みなさんはSDGsという、二〇三〇年までに達成しなければならない十七の目標をご存じだろうか。この目標は、今問題となっている環境について、改善するためのものである。しかし、目標を掲げつつも全て達成できる余地はない。私はこのままではSDGsのためにしてきた努力は水の泡になってしまうと思う。SDGsに、「ジェンダー平等を実現しよう」という目標がある。人との距離を考えつつ、色々な人と関わることが必要だ。あだ名はこれを実現するためのツールである。お互いが親しみを込めて呼び合うあだ名は、友情を育むための大切なコミュニケーションツールになると私は確信している。相手に配慮しながらあだ名をつかうこと。このようにあだ名を使うことはよいことだと思う。今後生きていく中で本当に大切なのは、呼び名という形ではなく、その言葉の裏側に込められた「親愛の情」である。互いを尊重し、温かな敬意を込めて呼び合うあだ名は、私たちの日常をより鮮やかに彩り、孤独を遠ざけてくれる。私は、そんな心の通い合うあだ名が溢れる豊かな人間関係を、これからも大切に育んでいきたい。