客観的でも内面的でも大切なことは一つ

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 私の身長は、約160cmで体重は約40kg学校の成績は普通だ。しかし、このような数値がわかっても、実際の私がどういう人間なのか、内面はわからない。もちろん、身長が160cmほどで体重が約40kgの人なんて、この広い世界にはたくさんいる。だがその上、球技があまり得意ではなく、すぐに突き指をしたり、物事をすぐに忘れてしまったり、さらには寝落ちの常習犯になってしまったりする人は、世界から見てもわたしくらいだろう。私という存在は身長や体重だけでは表し足りないくらいの物語が詰まっている。しかし、自分の内面と向き合ったところで、自分の実力や存在を数値化するものが必要になる。そのため、私が目標を決めるときは、目標の数値を決めている。そうすることで自分の内面的な部分も客観的な部分とも向き合えるようにしている。

 確かに、自分を客観的にみることは大切だ。常日頃から勉強を頑張っているつもりでいても、実際数値で表される結果には、努力が反映されないことがよくある。私は中学一年生のころ、理科が一番苦手な教科で、特に前期はひどい成績をもらってしまった。自分の中ではそれなりに頑張っているつもりだったが、実際に定期試験の結果をみたら、平均点が低かっただけで、親にみせられないくらいの点数だった。それから一年生の後期では、テスト勉強で苦手な問題を重点的に練習した。返却されたテストの結果は、回答するところがずれていたり、文章の書き方が変になっていて伝わらなかったりして、あまりいい点数ではなかった。このように、自分の中では一生懸命努力していたつもりでも、得られた結果があまりよくないと、落ち込んでしまうこともある。しかし、自分が努力しているだけでは実際、「自分の能力に何が足りていないか」がわからないだろう。心が折れるかもしれなくても、自分を客観的にみて自分の現状を知ることも、よりよい自分へつなげるための努力だと思うのだ。

 しかし、同時に、自分を内面的に見ることも大切だ、なぜなら、自分自身を大切にできるからだ。私は近頃、学校から帰ってくると一年前の私なら食べない量の晩御飯と甘いものを途轍もなく食べてしまう。育ち盛りだという理由で、日々やりすぎなカロリー摂取を続けていると、家族から、少し顔が丸くなったねと言われてしまった。確かに、一年前の自分よりも顔がふっくらして、自分は食べても太らない体質なんかじゃないのだと二日に一回、現実を思い知る。しかし、それでも食べなければ力が出ず、結局食べてしまう。いくら罪悪感があろうとも、食べている時間が一番幸せなのでやめられない。不思議なことに、食べた後は突如勉強へのやる気がみなぎってきて、長時間集中して続けられるようになる。客観的に見たら、食べすぎはよくないし、体が重くなるからやめたほうがいいと思われることも多い。しかし、食べることで、一日の楽しみを得られたり、自分がしたいことへの原動力になったりするのならば、もちろん私は食べることを選ぶ。自分を大切にし自分の気持ちがより幸せになれることを選んだほうがいいと思うのだ。このことから、自分を内面的にみることで、今の自分にとって一番大切なことを考えられるようになるのだ。

 このように、人間は、自分を数値化して客観的にみたり、自分自身を尊重し内面的なものを大切にしたりする。それら二つは、我々の人生においてとても大切なことだが、「才能とは自分自身を信ずる能力である。」という名言があるように、一番大切なことは、自分の才能を見失わず、現実の社会を生き抜いてくことだと思うのだ。私はこれから、客観的でも内面的などでも、どちらであっても、自分自身のいいところ見つけられるように頑張っていきたい。