里山を歩いていると

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 私は、里山を私有財産という枠組みのなかだけで考えていたのでは守れないと思います。都市に暮らす人々が大切な里山を維持してもらえるように山里の人々に対して相応の負担をするべきではないかと考えています。それは金銭的な補助もあるでしょうが、人手が不足している里山で下草刈りなどの世話をするボランティア活動であってもいいと思います。里山は人間によってつくられ、維持されてきた自然ということを考えると、都市の人々がここを訪れて仕事をする後者のほうがよいと思いますが。これに行政側が資金的な援助をすれば良いのです。

 自然とふれあえる黒曜石ミュージアムに行った。自然の石を使って自分の好きな形のキーホルダーを作った。私は勾玉の形になるように一生懸命に削った。他にも富士レーダードーム館に行き、富士山の気温の体験をした。今まで体験をしたことがないくらい寒かった。まるで、北極にいるみたいだった。もしも、真夏だったらちょうどいい気温になるのだと思った。体験以外にも、実際に、山登りをした。頂上についたあと、みんなでお弁当を食べた。山の空気はとてもおいしかった。冷たい空気で気持ちよかったので自然は気分転換に良いと思った。

 自然の保護について身近なボランティア活動をした。それは、小中学校の地域清掃だ。中学の先輩方と一緒に、落ち葉や枯れ葉をほうきでたくさん掃いて、ピカピカになるようにきれいにした。落ち葉を集めるのが意外に大変だった。掃いてもはいても、次々と葉が落ちてくるので、きりがなかった。でも、地域の方々に喜ばれたのでやりがいを感じた。良いことをしたとも思った。それとは別で、ニュースなどで、見聞きしたことがある。水不足の影響で山火事が起きたことだ。そのニュースで思い出したことがある。栃木県の山奥の温泉でサルが歩いていたのを見た母は勘違いをして温泉の人にサルを飼ってるんですか?と聞いた。実際、野生のサルだった。(笑)(笑)また、ダジャレを思いついた。

山つながりで山があっても山梨県だ。山はあるのに県の名前が山梨県だ。でも、漢字が違う。山梨県はフルーツの梨の漢字だが、ふつうは「無し」だと思うけど、フルーツのほうなので、少し興味深い。

 このように、自然は人間にとってなくてはならない存在である。人間は自然がいなくては生きていけないということが分かった。人間が生きていけるのは全て、自然のおかげだということがわかった。ことわざの立つ鳥跡を濁さずということわざが自然を汚さないようにするということで、そのことを示しているのである。最後に、究極は、自然を守るとは、人間がこの世に存在しないことだ。だが、私は生きていたい。