進み続けるということ

   高1 あおちよ(aotiyo)  2026年4月2日

 普通の死は心臓が停止してそれに続く全身の臓器が停止する心臓死という状態になる。ところが、中枢神経をまとめる脳が死ぬ場合では心臓死と同じように全身がやがて死ぬが人工呼吸器の力でしばらくは脳死状態の体を生かしておくことができる。そうすることによって死んだはずの体は臓器を提供できる体、言い方を変えると資材となり役立たないはずの自明の死を役立つ死えと転化される。別の言い方をすると一度死んだはずの体は臓器を他人の体に移植させることで不老長寿とは別の不死性をもっているともいえるだろう。このような生産的な死を不気味だとか非人道的だという声もあるが、このように死んだ体から臓器を移植できるような技術が存在していることこそが非人道的であり、またそれに私たちがこの現状を受け止めて身を開くことこそが唯一保つことのできる人間的な態度ではないかと思う。

僕は、人間は技術の進化についていくべきだと思う。

そのための方法として、第一に変化を拒絶しないことが大切だ。技術や世界は進化していくものであり、古いしきたりやきまりにいつまでも頑固に従っているのではなく、新しい視点をもって変化を受け入れるべきだ。例として、本文中にある移植された臓器のことの一文に「移植した臓器は免疫抑制剤によって自己の固有性を弱めながら、他者の臓器を受け入れている」というものがある。どうやら移植先の体が新しい臓器を異物とみなして拒絶反応を起こすことがあるらしい。そのために免疫抑制剤をつかって拒絶反応を抑えるという行為が変化を受け入れるという方法によく似ている。僕たちも無理に変化を拒絶するべきではなく自己の主張を抑えてもよいのではないか。

二つ目の方法として、多くの試行錯誤を行うことだ。新しい状態や環境ではじめから上手くやるというのは簡単なことではない。そのためには多くの挑戦や行動を起こして失敗し、そこから学ぶことによって徐々に適応することができるようになる。高校理科の生物の分野において、マウス(ネズミ)の特性についての項目があった。餌が置かれた迷路にマウスを放つとする。最初は迷路の中を何度も迷いながらエサに到達するが、回数を重ねるごとに迷うことが減り最終的には最短ルートを見つけ出すことができるのだ。これは試行錯誤をすることによって適応することの良い例といえるだろう。

変化についていくことも大切だが、古くからの慣習や伝統をおろそかにするべきではないという考えも納得できる。しかし、時代とは一定のものではなく進み続けているものであるように、自分たちも永遠に生きることはできない。限りある人生を無駄にしないためには時代の流れとともに自分たちも変わっていくことで何か得られるものがあるかもしれない。