匿名性

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 その昔、サングラスというのは世間に対して後ろめたいところのある人がかけるものであって、当然ながら周囲からそれらしい目で見られていた。しかし、現在はもちろんそんなことはなく、普通の人々が普通にサングラスをかけて街を歩いているし、そんなものをかけているからといって誰も振り返ってみたりはしない。サングラスの陰に隠れ、誰でも自由に自分自身を消すことができるのである。私は、インターネット技術の発達に伴い、匿名性が高まっているのは問題だと思う。

 第一の理由は、攻撃的な主張、誹謗中傷がより気軽に行えるようになってしまうからだ。実名を晒しての攻撃では自らもカウンターを喰らう恐れが十二分にあり、攻撃する側にもそれ相応の覚悟が必要であった。しかし、匿名になると、自らは安全シェルターに籠ったまま一方的に相手を攻撃できるようになる。現実の己は他人にわかりようがないのだから、自分の立場が危うくなるようなこともない。実際に、私もあまり主張が激しい方ではなく、波風を立てて人間関係に亀裂が入ることを恐れ、外では不用心なことは発言しないように注意を払っている。しかし、匿名になるとどんなに変なことを発言したところで現実の自分が脅かされることはないという絶対的な安心感が生まれる。

 第二の理由は、曖昧な情報や、誤った情報が増えるからだ。実名での発信、投稿では、自身の名前の下に責任が生じる。事実と相反する内容が含まれていれば、自身の信用を失うことにつながる。しかし、匿名ではそういった懸念がないため、ファクトチェックもそこそこに、気軽に投稿したり、発信できるようになる。また、あえて偽の情報を投稿したり、表示回数を増やす目的で、いい加減な耳触りの良い情報が発信されることもある。そして、それらのフェイクな情報は社会、経済の混乱やトラブル、事件につながることもある。過去には実際に、虚偽の文章と写真をSNS上に投稿され、休業に追い込まれた会社も存在する。

 確かにSNSによって実世界での立場に囚われることなく、自由な見地から意見を発信することができるようになった。また、匿名性があるからこそ、現実では聞けないようなことでも質問できたりもする。しかし、匿名で活動する限り、信頼は生まれないと思う。そして、私は責任と信頼は表裏一体であると考える。つまり、責任は信頼から生じ、信頼は責任から生じる。きちんと責任を負うことで、人から信頼されるようになる。そして、相手からの信頼がなければ責任も生まれない。信頼に応えようという思いが責任感につながる。よってSNS上で現実世界のような責任を持てというのは難しい話だ。無責任な発言が気軽にできる限り、問題は解消しない。