渾名とは
中1 あおやゆ(aoyayu)
2026年4月1日
「やざちゃん」
これは私のあだ名だ。矢沢という苗字を省略したシンプルなあだ名である。3週間前に卒業したばかりの小学校で2年間同じクラスだった友達にしか呼ばれないあだ名で今でも中学校で同じクラスになった友達にはこの名前で呼ばれている。あだ名は学校や家庭での親しい間柄の中でしか呼ばれない。初対面の人にすぐにあだ名で話しかける人は少ないのは、日本人が一人一人につけられた名前に敬意を持っているからだろう。しかし、親から自分の意思に関係なくつけられた名前を気に入っていない人もいるだろう。自分がそうなろうとしたわけではないのに揶揄われたり、冷やかされたりして嫌な思いをした人も多いそうだ。そういう意味でも私はあだ名に賛成である。
第一の理由はもちろん親しみが増すからだ。やはり親しい間柄でしか呼ばれない名前なので、親しみが増す。「日本語は敬う言葉」とよく言われるが、誰かを敬うことの多い私たちだからこそ、目上の人だからとか失礼だからという考えを無くしたニックネームの存在を新鮮に感じるのかもしれない。普通、本名は「こうなってほしい」という願いを込めてつけられたものが多い。けれどあだ名は基本的に「あのエピソードは面白かったよね」とか「これが得意だよね」という今までの自分のプラスの事柄からユーモアセンスのあるワードが選ばれているため、プレッシャーを感じにくく、そのままでいいと思えるのではないだろうか。
第二の理由に「名は体を表す」という考え方は良くないと思うからだ。みなさんは加害者家族という言葉を知っているだろうか。事件を起こした犯人の家族も世間から批判されるという理不尽な考え方のせいで生まれた言葉だ。自分が事件を起こしたわけではないのに「あなたがやったんでしょう」という目で見られる。もしかしたら家族でなくても苗字が同じというだけで少し近寄り難くなってしまうのは、日本人の苗字を大切にする考え方の裏返しだろう。海外では名前が先に来るファーストネーム。これは家の出よりも個人を重視するという主義の最も顕著な決まりだと思う。
しかし、呼ばれた相手が不快になるあだ名はただの悪口だ。相手のことを揶揄し傷つけるために使うのはいじめである。最近はあだ名によるいじめが増加してきているそうだ。だから渾名をやめましょう。もちろんその答えも間違っていないと思う。けれど物事は両立させていくことが大切だ。なんらかの善を心の裡(うち)に持たない悪人はなく、なんらかの悪を心の裡(うち)に持たない善人もない。」という名言があるように、あだ名には良い面悪い面がある。けれど人と人とが繋がるのは人間として最も大切なことの一つでもあると思う。自分で決めることができるあだ名はもう一つの自分としても堅苦しくなく笑顔で過ごせる大事な名前になるのではないだろうか。