里山を歩いていると
小6 あきゆは(akiyuha)
2026年4月2日
里山を歩いていると
それぞれの目的を気持ちよく、楽しく達成させてくれるのが里山の景観であり、それを構成する野生生物を中心とした自然です。都市に暮らす人々が、大切な里山を維持してもらえるように里山の人々に対して相応の負担をするべきではないかと考えています。一日の間にある雑木林から別の雑木林へと移動しながら食べ物を食べる猿のような動物もいます。
家族と遠足で山登りをした時のことである。登る時は道もせまくて、登るのにかなり大変だった。しかし、頂上に着いた瞬間、まるで、自然や鳥たちが自分を向かい入れてくれて「おかえり」と励ましてくれているように心から感じた。他にも、心に残った場面があった。それは、登っている時のことだ。少し、休憩場で休憩していると、花や、川などの自然全体がまるで私に話しかけているように聞こえた。その時の音や、感覚を今でも覚えている。私は、このことから、このような自然が増えていくことで今窮屈になってる社会も、少しはリラックスできて、社会も整っていくのではないかなと思った。
私が一年生の頃の話だ。私が登校中にお父さんやお母さんが、下の公園でゴミ拾いを毎朝するという学校のボランティアをしていた。私は、一番近くでその様子を見ていたけれど、とても大変そうだった。しかしよく考えると、お母さんもお父さんもゴミ拾いを行う、つまり、自然を助けているということにつながるのではと思うようになった。そう思うと、毎朝頑張っているお母さんと、お父さんを誇らしく思うようになった。今では、そんな活動はなくなったが、今では社会全体で、ゴミは自分で持ち帰るという習慣になったからだと思う。私は、もしゴミが落ちていたら、それを捨ててあげようと心に誓った。
次に、ニュースで聞いた情報のことだ。それは、最近自然などに住んでいる野生動物が、山から降りてきて、人間社会に被害を加えているため、野生動物を駆除するという情報だ。私は、駆除することに反対だ。とは言っても、クマなどに襲われて怪我をしたくはない。しかしだからと言って、駆除するべきではないと思う。私の考えは、まず山全体の周りに、柵を置いたり、あまり動物が寄ってこない匂いなどを家のどこかに置いておくなどのそういう工夫は、人間がするべき工夫だと思う。しかしこのような工夫を行わず、すぐに駆除するのは、おかしい事実だと私は思った。そしてこれこそ、自然破壊をしてリラックスもできずに、窮屈になっていき、悪い方向へと進んでいっているのではないかと思う。これこそ、自業自得だ。ことわざで言い換えると、水は方円の器にしたがうだ。
自然は人間一人一人が協力し、支え合っていかなければならない存在であるということが分かった。