里山を歩いていると(感)

   小6 あきらほ(akiraho)  2026年4月2日

 里山を歩いているとハイカーとすれ違う。それぞれの人は何かの楽しみを求めて里山にやってくる。都会に暮らす人々が里山を維持するために山里の人のためにボランティア活動し、これに行政側が資金的な援助をすればよい。近年野生動物の交通事故が増えている。これに対しては、人間側の配慮が必要で、野生動物のコリドーを作って野生動物たちが安心して移動できるようにすることが必要である。工事費が高くついても緑のコリドーを作る工夫が必要だ。

 一昨年の八月の下旬に私は広島県のキャンプ場に家族四人で行った。そのキャンプ場は、まさに自然の宝庫というにふさわしく、セミやカブトムシなどの昆虫がたくさん生息していた。また、そのキャンプ場には水が澄んでいて美しい湖があった。私はバーベキューや虫取りをして楽しんだ。そして湖の近くまで行くと湖畔にはバーベキューをした後らしきゴミの残骸があり少し不快な気持ちになった。特に近くに住んでいる人は、どうしてもゴミが目にうつってしまうと思うので、自然と住民に配慮して、ゴミは持ち帰るまたは廃棄するなど良好な行いをすることが大切だと考える。

 テレビで見たのだがここ数年で日本の平地や山地にメガソーラーという大規模太陽光発電の設置が進んだのだそうだ。主なメリットとしてはCO2排出の削減による温室効果ガスの抑制、停電時でも電力の供給が可能、地域活性化などが挙げられるそうだ。その一方、デメリットとして森林伐採による土壌の保水力低下、土砂崩れや洪水リスクの増大などの環境破壊、パネルの反射光による生活被害、景観の悪化、近隣住民の反対運動などがあるそうだ。私も九州の祖母の家に行く車窓から豊かな森林の景色に突如として現れた巨大なメガソーラーに驚いたことがある。環境に優しいはずの再生エネルギーが、環境や生態系の破壊につながっているのではないか。メガソーラーの設置が正しかったのか検証していくことが同じような過ちを防ぐために必要ではないかと考える。このようなデメリットを解決するためにはどのようなアプローチが必要か考えると、例えばメガソーラーの大きさを極小パネルの大きさにして集中的にエネルギーをため、反射しにくくする改良が必要だと考える。他にも地域住民の事を考えると、法律で地域のどの範囲にメガソーラーを置くか制限することも大切だと思う。いわゆる自然と人間が共存できるメガソーラーを作ればよいのではないのだろうか。

 人間にとって自然とは私たちが生きていく中で、必要不可欠な存在で、私たちの生命そのものなのではないかと考える。何故なら自然の破壊が進むと人間の存在自体が、脅かされると思うからだ。野生動物や自然と共存していく中で、自然を守るための配慮や対策が、これから必要とされてくると考える。何故なら私たちが自然と共生するためには人間である私たちが自然をどうするかという主導権を握っているからである。主導権を握っている私たちが私たちの生活や、野生動物の暮らしを守っていける唯一の存在だからだ。だが一方で自然災害などの人間の力ではどうすることもできないものがある。完全に人間が主導権を握っているとは言い切れない。これからは身近なことで自然を大切にする取り組みをしたい。公園で食べたお菓子のごみを家に持ち帰り、他にごみが落ちていたら拾い、私だけでなくほかの友達にも声掛けができるようになりたい。