ふしぎ
中2 あおなち(aonati)
2026年4月2日
「ふしぎ」と言えば、「私」という人間がこの世に存在しているといことほど「ふしぎ」なことはないのではなかろうか。自分が意志したわけでもない。願ったわけでもない。気がつくとこの世に存在していた。おまけに、人生において重要と思われることの大半は、勝手に決められている。その「私」を受け入れ、「私」としての生涯を生き抜くことに全力を尽くさねばならない。たましいと言うのは、直接にちゃんと定義するなどという事はできない。しかし、それは死んだときにあちらに持っていけるものだ、などと考えてみることもできる。たましいなど本当にあるのかないのか、実のところはわからない。しかし、それがあると思ってみると急に途方もなく恐ろしくなったり、面白くなったり、人生を何倍か豊かに味わうことができることは事実である。このようにして自分の人生を生きるとき、死ぬときにあたって、自分の生涯そのものが世界の中で他にはない唯一の「物語」であったこと、「私」という存在のふしぎがひとつの物語の中に収められていることに気づくことであろう。自分の人生を豊かで、意味あるものとするために、われわれはいろいろな「ふしぎ」についての物語を知っておくことが役立つのではなかろうか。
客観的な指標は、人が成長していくうえで非常に重要な役割を果たす。特に学校の成績は、自分の学力を客観的に知るための大切な基準となる。例えばテストの点数や順位が明確に示されることで、自分がどの分野を理解できていて、どこに課題があるのかを具体的に把握することができる。それによって「次はここを伸ばそう」という目標が生まれ、日々の学習への意欲も高まる。また、成績という形で努力の結果が表れることで、自分の取り組みを振り返るきっかけにもなる。思うような結果が出なかったとしても、それは決して無意味ではなく、勉強方法を見直すための大切な材料となる。逆に良い結果が出たときには、自分の努力が正しかったと確認でき、自信にもつながる。このように、客観的な指標である成績は、単なる優劣を決めるものではなく、自分自身の成長を促すための道しるべであるといえる。
人間には、他人との比較では測れない価値がある。そのことをよく示しているのが、発明家エジソンの生き方である。彼は幼い頃、学校で「能力が低い」と評価され、周囲から劣っていると見られていた。しかし、その評価は決して彼の本当の可能性を表すものではなかった。母親の支えのもと、自分の興味や好奇心を大切にしながら学び続けた結果、やがて数多くの発明を生み出す人物へと成長したのである。特に有名なのが電球の開発である。エジソンは何千回もの実験に失敗したが、その一つ一つを「無駄」とは考えなかった。周囲の人々が結果だけを見て評価しようとする中で、彼自身は過程に価値を見出し、挑戦を続けた。この姿勢こそ、他人との比較では決して測れないものである。仮に他人より成果が出ていないように見えても、その人の努力や経験、そこから得た学びは目に見えない形で積み重なっている。このように、人の価値は単純な優劣では決められない。エジソンのように、自分の信じた道を歩み続ける中でこそ、本当の力は発揮されるのである。他人との比較にとらわれるのではなく、自分自身の成長や積み重ねに目を向けることが大切だといえる。
このように、人間には他人との比較の中で評価される自分と、自分自身の物語のなかでわかる自分とがある。まさに、シーソーだ。数字での評価ばかりを気にして、頭でっかちな状態では、いつかパンクしてしまう。本当の人生の豊かさとは、自分の信じた道を歩み続ける中で、自分自身の成長や積み重ねに目を向けることではないだろうか。大事なことは、その二つのバランスをとって現実の社会をたくましく生きていくことではないだろう。