「ふしぎ」といえば
中2 あさくに(asakuni)
2026年4月2日
要約:「私」がこの世で生活し、普通に生きていることは実に「ふしぎ」だ。知らぬ間に地球に存在し、社会的地位が決定され、変更が出来ないシステム。この「私」のふしぎを忘れて、生きている人にこの現実をわからせるために児童文学はこれ以上ない窓口だ。このような本では自分の作り上げた地位や財産は必要なく、「それがなに?」と問いかけられる。なので、重要なのは個々の人生劇場の幕が締まる時、物理的資産などを省いて、ストーリーだけで、「良い人生だった」と思える物にしなければならない。
まず最初に、「大人」として生きていくのは大切だ。なぜかというと倫理を学ぶことができるからだ。子供から大人になる時に人として確立するが、実際社会で一般市民として責務を全うする時にこそ、倫理という名のエチケットを叩きつけられると思う。倫理を身に着け、「これはセーフだがこれはアウト」がわかっているからこそ、安全な領域で自由に縦横無尽に生きていける。実際2024に出た一般社団法人倫理研究所によると、日本人の6割ほどが常に道徳を意識し、生活しているそうだ。当然この6割に属していなくても残りの4割の一員として生きてゆけるが、脳裏の片隅に置いていた方が他者からの信頼も得られ、社会の闇に入ってしまうことも少ないだろう。もちろん「闇」に入ったら「幸せ」に慣れないことは無いが、なかなか抜け出せなくなるそうなので入らないのが一番だ。
でもやはり子供の時からの夢や心を忘れないことも大切だ。良かれ悪かれ、子供は単純である。自分の好きなものには没頭し、興味のないものには見向きもしない。この世の中にいる全ての幼少期を過ぎた人々も昔は小学生だったように、私も2年前までは活発な小学生であった。その間、幼稚な子供にしか体験できない「フワフワした」気持ちを味わったことのある人の一人でもある。時は2023年、私が約3-4年生ぐらいの時だった。世間では漫画、「鬼滅の刃」が大ブームで、私もあの現代日本漫画の最高傑作といっても過言ではない名作の虜になっていた。あまりの「鬼滅熱」で、駅のホームなどに設置されていた鬼滅の刃のガチャガチャをやりまくっていた。11年間の貯金の⅓を放出するほどののめりこみ具合だった。そのキーチェーンなどのグッズは束になり、今も部屋の片隅に放置されているが、今思えば「あれは私の幼少期の最後のピークだったかもしれない」ともう二度と戻ることのできない時期を思い、切なくなる。私の場合小さいころから一つのハマったことに熱中する「オタク系」だと自覚しつつあるので、この特色を自由気ままに伸ばして行こうと思うばかりである。
「大人の一面」や「子供の時からのオリジン」などを重宝するのは立派なことであるが、一番重要なシンテーゼは、「悔いのない、皆の記憶に残る素晴らしい人生を送る」というメッセージだ。人生100年時代というが、人生いつどこで躓くかは、占い師でもわからない。最後、走馬灯を見ながらふと「楽しい人生だったな〜」と呟けるように今日も頑張って生きていきたいと思う。ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガーは「人間は終わりを認識して初めて「今」が輝く」という「死への存在」を提唱していた。少々異なるところはあるが、類似点は多々私とハイデッガーの思想に見られる。「生まれ変わったらこれをしたいな、あれを変えたいな」と現世から逃げる現実逃避者にならないよう、私は今日という日を乗り超え、「最終日」まで走り続けたいと思う一心ばかりである。