灰色の男たち
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年月日
今、私たちは時間に縛られながら生きている。どうやら、人々が時間に追われるようになったのは時計が発明されてかららしい。太古の昔、人々にとって時間とはあくまで自分の上を流れるものであり、それによって自らの行動を厳しく律しようとは思わなかったであろう。それほど昔でなくとも祖父母の時代ではいつ何をするという概念はなく、大まかなくくりで日常生活を過ごしていたようである。だが、時計が普及し、だれもが手首をのぞき見るようになると、時を忘れて時間を過ごすことがなくなった。駅前を行きかう人の様子はまるで常に警察に追いかけられている犯人のようだ。私はこの人たちのようにならないよう、今を大切にして生きていきたい。
その第一の方法は、充実した時間を過ごすことだ。私は夏、毎年海に行き、めのうという透明な縞が入っている石を拾うのだが、それをしている時は時間など頭の中から消え去ってしまう。好きなことに熱中すると、時間を忘れることができるのだ。また、充実している時間を過ごすことは心に余裕をもたらす。ストレスもたまりにくく、生活の満足度をあげることもできる。私はついこの間まで30分タイマーをかけ、その間は集中して勉強し終わったら5分間の休憩をとるという勉強法をしていた。しかし、道コンを受けた結果がボロボロだったため、30分やることに意味があるのではなく、勉強した内容をインプットすることが勉強するうえで最も重要なことなのだと気づいた。だから私は充実した勉強時間を持つことが大切だと考える。
第二の方法は、時間にゆとりを持って生活する環境を整えていくことだ。私の学校では「2分前着席」が学校全体の取り組みとして行われている。もともとこれは授業の準備をし、ゆとりを持たせるための2分なのだが逆にそれに振り回されているのが現状だ。同じくミヒャエル・エンデ作の「モモ」では灰色の男たちが人々に「時間=命」だと吹き込み、灰色の男たちが経営する「時間貯蓄銀行」に時間を預けさせる。しかし、本当は、灰色の男たちは、人間が倹約した時間を吸い取って生きている「時間泥棒」であり、時間を盗まれた人々は心に余裕がなくなり生活が荒んでいく。現代の私たちは、ルーズな時間を過ごさぬよう時間倹約しているように思えるが、その貯金した時間で何かができるわけではない。
確かに、社会生活では時間どおりに規則正しい生活を送ることが大切だ。もし友達と遊びに行く約束をして遅れれば信用がなくなり、その後の予定も立てにくくなるだろう。大統領などの重要な役職についていたり、会社の社長をしていたりする人も同じく、タイトなスケジュールが必要だ。しかし、時間は法律ではない。最近は時間の方が人間より偉い、というような風潮があるが、それは間違っている。少しは守らなくてもいいはずだ。「そもそもこの世に時間などない。それは人間が勝手に作ったものだ」というフランク・ミュラー(時計師)の名言がある。時間を生み出している時計師が言っているのだから間違いないだろう。私は、この言葉を胸に昔の人々のように時間に縛られない生き方をしたいと思う。