心の深み

   中1 あきゆれ(akiyure)  2026年4月3日

 いつから世の中が矛盾を恐れるようになったのか知らないが、頭から悪いものと決めてかかっている人が多い。どうも矛盾には、良いものと悪いものがあって、嫌われる。いわゆる矛盾は良いものを除外して考えているようである。こうして、一度矛盾が不尾だと知れると、われもわれもと論理性へ走る。かくして、論理はかくれた信仰の一つにすらなっていると言えそうである。論理なら、対立や撞着もしのびこむ余地がなくて安心である。しかし平面論理にふみこまれると、いかなる芸術も花も台なくなってしまう。そもそ矛盾とはなんだろうか。矛盾とは、二つの物事が食い違っていて前後のつじつまが合わない状態のことである。私はそのような矛盾はよいと思う。

理由は第一に、矛盾は自分らしさの証だからだ。例えば、先日の修学旅行でのことだ。私は班長として「決まりを守って、最高の思い出にしよう」とみんなに呼びかけていた。班のメンバーが勝手な行動をしないよう、自分なりに責任感を持って行動していた。けれど、心の中では「本当はもっと自由に歩き回りたい」「夜もこっそり夜更かしして遊びたい」という、ルールを破りたい自分が常にいた。みんなをまとめる自分と、羽目を外したい自分。この矛盾した二つの気持ちに、私は「自分は嘘つきだ」と後ろめたさを感じた。しかし、わがままを言いたい本音を抱えながらも、それを抑えて班のために動こうとする今の努力にこそ、本当の責任感があるのではないかと気づいた。矛盾があると言う事は、自分のいろいろな感情を無視せずに、正直に受け入れている証拠であるのだ。

 理由は第二に、矛盾によって新しい発見があるからだ。小学校の頃、私は「クラス全員と仲良くなりたい」という理想を持っていた。休み時間は誰かと遊び、行事では進んで輪に入った。しかし、心の中では「たまには一人で静かに本を読みたい」という、正反対の気持ちが常にあった。みんなといたい自分と、一人になりたい自分。この二つは矛盾していて、どちらかを選べば一方が嘘になる気がしていた。しかし、ある時この矛盾を解決するアイデアを思いついた。それは、「図書室に友達を誘って、同じ空間でそれぞれ好きな本を読む」という過ごし方だった。一人の時間も確保しながら、友達とのつながりも大切にできる。この新しい楽しみ方は、自分の中に矛盾する二つの気持ちがあったからこそたどり着いた答えだった。もし、矛盾を感じずにどちらか一方の気持ちしかなかったら、私はこの新しい過ごし方を見つけることはできなかっただろう。相反する要素が自分の中でぶつかり合うからこそ、それを乗り越えるための工夫や、新しい自分なりの形が生まれるのだと思う。

 こうした「自分の中の矛盾」は、今の社会にもあふれている。例えば、今問題となっているのは「デジタルの便利さと、直接的なつながりの矛盾」だ。私たちは今、タブレットやスマホで簡単に人と連絡が取れる便利な時代に生きている。しかし、その一方で「SNSでつながっているのに、どこか孤独を感じる」という矛盾した悩みを抱える人が増えている。効率や速さを求めれば求めるほど、時間をかけて会って話すような「心のゆとり」が失われていく。この矛盾は、現代に生きる私たちにとって避けて通れない大きな課題だ。しかし、この社会の矛盾も、決して悪いことばかりではないと思う。一貫性があることは確かに立派だが、矛盾があるからこそ、私たちは立ち止まって考え、工夫し、進化することができるからだ。例えば、デジタルの便利さと対面の温かさをどう両立させるか。この矛盾する二つの気持ちがぶつかり合うからこそ、オンラインでも相手の体温を感じられるような新しい技術や、あえて「デジタルを使わない時間」を大切にする新しいライフスタイルが生まれてくる。つまり、矛盾とは決して「間違い」や「嘘」ではなく、今の社会や自分を超えて新しい答えを見つけ出そうとしている「可能性の種」なのだ。だから、矛盾が発生する事は良いことだと思う。これからは、自分や社会にある相反する気持ちをどちらか一つに絞るうとするのではなく、その葛藤を楽しみ、大切にしていきたい。矛盾と向き合い、悩みながら自分なりの正解を形にしていくこと。その繰り返しが、自分という人間をより豊かにし、他人の複雑な気持ちにも寄り添える「心の深み」に繋がっていくのだと私は確信している。