矛盾の可能性
中1 あこまき(akomaki)
2026年4月3日
いつから世の中が矛盾を恐れるようになったのか知らないが、頭から悪いものと決めてかかっている人が多い。どうも、矛盾には、良いものと悪いものがあって、嫌われる、いわゆる矛盾は、良いものを除外して考えているようである.同じ平面の上を、反対方向から進んで来た二つの同じ力がぶつかれば、両者は互いに相殺し合って、運動のエネルギーは消滅してしまう。避けなくてはならない矛盾とはこの相殺の論理のことであろう。こうして、一度、矛盾が不毛だと知れると、われもわれもと論理性へ走る。この平面論理という暴れん坊に踏み込まれたら、いかなる芸術の花も台なしになってしまう。矛盾をすることにも良さがあるのである。そのような「矛盾」をすることに私は賛成だ。
第一の理由に、様々な意見、矛盾が出ると新たな選択肢が生まれるからだ。私は、小学生だった頃に矛盾することの大切さに気付かされた。それは、修学旅行のコース決めの時だった。元々は、スタートからゴールまでに絶対に行きたいところだけ行って、戻ってこようと思っていた。だが、実際に本などで情報を得ると、降水確率や、ルート、隠れ名店などといった様々な意見が出た。私たちは何度もペンを持ち、白紙のページを次々と開いていくほどだった。しかし、そのような矛盾、意見により、充実した学びの旅をすることができたのだ。様々な意見をだし、矛盾をすることにより、修学旅行の行動範囲が広がり、親密な人間関係を築くことができたのではないのだろうか。
第二の理由に、他の視点から見、矛盾を直視することで、新しい未来や説が生まれるからだ。皆さんは、ガリレオという人物をご存知か。ガリレオは、世界の基盤を大きく変えた、偉大な人物なのだ。元々、ガリレオの生きていた時代には、天動説というこの世の中の中心は地球と言われていた。しかし、ガリレオは天動説の矛盾に気づき、新たな地動説と言われるものを唱えた。地動説は現在と同じく、太陽中心を唱えたものだ。しかし、このような説を唱えることは、神に背くことだ。なんとなく違和感を持っても、皆他人事だったと思う。しかし、直視をすることで、より良い意見が出てきたのだ。
しかし、時には矛盾をしないことが大切な時もある。例を挙げてみるとしよう。例えば、裁判官だ。裁判官は、その人が有罪か無罪かを判決する重要な役職だ。だが、もし、裁判官の判決が矛盾していたらどうだろうか。それは、ちゃんとした裁判ではなく、不公平になるのだと思う。また、警察や医者などでもそうだと私は思う。加害者を拘束する理由や、診断結果など、私たちの社会では矛盾してはいけないものがたくさんあるのだ。しかし、ウォルト・ディズニーは、『つねに現状に満足せず、矛盾を抱えながらも前進し続ける』と言った。この言葉のように、時には矛盾することも大切なのだ。ディズニーは、夢(理想)とビジネス(現実)という矛盾する要素を組み合わせ、魔法のような場所を作り上げた。だからこそ、このように矛盾という新たな意見を生み出すことが大切なのだ。矛盾をすることは、より良い意見を見つけ出し、新しい未来を作ることだ。矛盾をたくさん繰り返すことが、未来の可能性を秘めていると私は思う。