自分とは何か

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  「ふしぎ」と言えば、私という人間がこの世に存在しているということほど「ふしぎ」なことはないのではなかろうか。自分の人生を豊かで意味のあるものにするためには我々はいろいろな「ふしぎ」についての物語を知っておくことが役立つのではなかろうか。

私の身長は百五十三センチちょっとでとても低く、学校の成績は平均ぐらいで、偏差値は五十八から六十くらいだ。しかし、このようなことがわかっても私自信を説明したことにはならない。

 確かに客観的な目標は必要だ。それは成長具合を一目で判断することができて自分のやる気を引き出すことができるからだ。私は六年間水泳を習っている。進級するためにはクロール五十メートルを三十四点二秒で泳がなければならない。最初は三十五点六秒とあまりはやく泳ぐことができなかった。次に計ったときには三十四点九秒に縮まっていた。七秒しか変わらないと思う人も多いと思うが私にとっては大きな一歩だ。そこからは少しずつやる気が出てきて、ごくたまに有酸素運動をしてみたり、腹筋を鍛えてみたりして進級しようと試みた。結局一番最近のタイムは三十四点六秒だったがあと零点四秒で進級する手前までたどり着くことができた。そして、少し、運動をしたことで腹筋がよく鍛えられ合唱部でも声が大きく出るようになった。自分の目標を達成するために進んでいく中でそのほかのことまで成長することができた。客観的な目標があることでやる気が出てきて頑張ろうと努力することができる新しい自分を見つけることができた。

 しかし、数値などでは計れない目標も大切だと思う。それは、その夢を追いかけてがむしゃらに進むことができるからだ。夢をがむしゃらに追い求めた歴史人物として、織田信長があげられる。信長は天下布武という夢を、目標を掲げて己の信じる道を進んだ人物だ。その道を歩んでいく中でそこまでするかというほど残酷なこともたくさんしてきた人だ。家臣にきつく当たったり、謀反人を容赦なく切り殺したり、お寺を焼き払ったり本当に厳しい殿様だったと思う。しかし、その背景には、単なる殺戮への衝動ではなく、天下布武を成し遂げたいという強い信念がある。もし、信長に天下布武という目標がなければ終わりの国の小大名で歴史に名を残すこともなく終わっていたかもしれない。信長が残酷なことはしたくない、と思っていたのか思っていなかったのか本当のことはわからない。信長に目標がなければ天下統一のあと一歩という所までたどり着くこともできなかっただろう。ましてや、残りの二人の徳川家康や豊臣秀吉が天下を統一することはなかったかもしれない。たった一人の目標だが、それが未来に大きく影響した。このことから、私は数値などでは計れない大きな目標を持つことは人間を変えるのだと思う。

 このように人間は客観的視点からわかる自分と数値では計れない自分がある。最も重要なことは自分が自分らしく生きることができるようにすることだと思う。