たくさんのミイラと命
小4 あこはよ(akohayo)
2026年4月3日
ミイラを取りに行った人が目てきをはたせすに自分も死んでミイラになってしまいますが、医したちがなんどもけいこくしたけど
イラのほうえきはつづき、ことわざはそこからうまれたのでしょう。この文を読んでおどろいたのはミイラをさがす人もミイラになってこのようにたくさんミイラができることです。
以前、そ母と買いものに行った時、私が時間になり、声をかけようと思ったらつい一緒に買い物をしてしまいました。
また父と、二人のおばとそ母と母で買い物に行った時、父がおばとそ母に声をかけようとしたら父もいっしょにミイラになって買いものをしたそうです。さいご母が声をかけたそうです。結果、まるで全員がミイラだと思いました。もし自分がミイラだったらずっとその時している事を続けていると思いました。
ミイラについて気になり、調べました。ミイラははかの中にうまっている、死体のはらおものですね。しかし、死んでしまうからといってミイラはわるいものでもないのです。人の命は死んでも続いているかもしれません。私は、「えいえんの命。新しい命の始まり。」という本に書いてある言葉か気に入りました。死をこわかる私ですが、この言葉は、魂がぬけても命は続き、もし、自分が死んでも、また別の命と命のつながりを意味していると思います。
きっとミイラを作、た人もこう考えたのでしょう。
わたしはここはたくさんのミイラがいて、少しこわいと思いました。またこのことわざは、命のつながりについても語りたかったのかもしれませんね。私は本当にミイラにきょう味をもっことができました。