ふつう死は、心臓が(感)

   高1 あきえよ(akieyo)  2026年4月2日

 脳死が心臓死と決定的に違うのは、死が全身に及ぶプロセスやそのタイムラグのためでなく、死を抑止するテクノロジーの介入によるきわめて現代的な、生を手放しながらなお死を中断された、ある種の中間的身体を生み出すからである。脳の機能を失ったこの身体は、もはや人格としての発現をいっさい欠いて、いわば誰でもない身体として横たわっている。現在の脳死をめぐる議論の中で問われているのは、向こうから訪れる死を「みなしの死」と置き換えるということなのだ。私はこの文章を読んで、我々は技術に見合うだけの精神を持つべきだと思った。

 そのための方法としては第一に、現実から目をそらさず、問題点を明らかにすることである。そうしないと技術ばかりが進歩して、私たち人間は考えることをやめ仕事も失われるような最悪な未来が訪れてしまうと思う。AIを例に挙げると、特にその未来がひしひしと近づいてきていると感じる。通学途中に私が耳にした話なのだがバスのなかで同じ学校の学生どうしが、宿題について話し合っていた。内容としては、出された英語の問題集の範囲を、すべてチャットGPTに解かせていた、というもの。私は前日にやるのを思い出して夜まで必死に問題を解いていたからなのか、自分の力で勉強せず人工知能に頼っていた彼らに少し憤りをおぼえた。ただ実際にも、学生がAIに宿題をさせていることが最近の社会問題となっており、対策が進められている。このように、技術革新に対してただ表向きに素晴らしいと捉えるのではなく、「私たちに与える影響はどんなものか」「どのような用途で使っていくか」などを明確にするべきだ。そして、その技術にただ頼るのではなく、多くの人が自分自身の向上のためのツールとして利用できるようになっていくことを願っている。

 また第二の方法としては、問題に対しては、大勢でよく議論することだ。確かに世の中にはいろいろな立場の人がおり、技術の進歩によって助けられる人も大勢いる。しかし同時に、私たちに及ぼす影響も大きい。だから問題に対して議論を行うことで、私たちが技術に見合うだけの精神力を身につけていくべきだ。特に私は、デジタル技術の発展について議論していってほしい。というのも、スマートフォンが普及してSNS依存になったり、人間関係が希薄化したり、精神的被害を受けたりするという事例が増えているからだ。実際にSNS依存症と診断される若者が過去5年で3倍に増加し、うつ症状との相関も確認されているそうだ。学校でも、お昼休みの時間にスマホをいじったり、行事でスマホを預けなければいけないときも渡さなかったりする人をよく見る。私も、スマホを見ていたせいで貴重な時間を失った経験を何度もした。今では自分自身このような、SNS依存によって後悔をする経験を下の世代してほしくないと感じている。そしてそれを実現するためには、若い世代も含めデジタル技術の発展について話し合い、問題点を見つけて対処していくことが重要だと思った。

 確かに、技術の進歩は私たちを進化させた。歴史的にいえば、機械の登場で産業革命が起こり、工業が発展し製品の大量生産が可能になり、さらに交通機関が発展し余暇や移動の自由度が向上したり、と多くのメリットを生み出した。現代でも、人手不足の中でコンビニやスーパーでセルフレジの導入が進んでいる。確かにセルフレジのような、昨今の人手不足解消の技術はすばらしいし、私も便利であると感じる。しかし人手不足を技術がとってかわることで人間関係に希薄さを生み、人が人と関わりにくい世界が進んでいったらどうなるのだろう。技術の革新がつくる世界が、人間を排除するものであってはならない。人間が育っていくためには、温かい心で満たされた安心した環境が必要だ。技術の進歩で私たちの住むこれからの未来ができあがっていくなら、人間がかかわるべき部分をもっと明確にしていくべきだろう。私たちの未来のためにも、精神的なものを切り離してはならないと思う。