物事を多角的に見る
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ふだん私たちは、コインを丸いものとして見なしている。けれども、もちろんコインは、年中円型に見えるわけではない。水平方向から眺めれば、あきらかに、薄い長方形に見えるはずだ。しかし、なぜかコインは長方形だということに違和感を感じるのである。レトリックは、私たちの認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえに、もっと別の視点に立てばもっと別の展望がありうるのではないか、、、と探究する努力をすることでもある。レトリック感覚は、発見的な認識には欠くことができない上に、人をできるだけよく理解するためにこそ必要なのだ、ということになる。新しい視野を獲得するためにも、また、相互理解の為にも、こんにちほどレトリック感覚の必要とされる時は、かつてなかったように思う。何事にも、物事を多角的に見る事は大切なのだ。私は物事を多角的に見るのは人生を豊かにする大きな要因になると思う。
私が物事を多角的に見ることの大切さをよく知ったのは小学校の授業で行った商品開発のグループワークだった。お菓子の売り上げを上げるのにはどうしたら良いかという算数「グラフをもとに意見を構築する」単元の一環であった。わたしの班はミルフィーユを売ることになっていたので、全員に配られた、年齢、性別、買っている菓子の価格層、好きなお菓子ランキング、どこでお菓子を買うかなどの情報が書かれているプリントをもとにしてプレゼンをした。ミルフィーユはお菓子というよりはケーキのような、普段の生活では手を出しにくい構造をしていた。そのため、生産者からしてもコストが高く、班の中では「ミルフィーユを個包装にして食べやすさを求める(個包装のため価格が高くなるが食べやすいため売り上げは増える)」という意見と「ミルフィーユを味重視にして食べやすさ、利便性は求めない。」という意見で割れていたためなかなか意見が一つにまとまらなかった。しかし、一人の女子が、生産者側の考えを捨てて、ネット上のミルフィーユに関する意見や場面について消費者側の声を多く取り入れたらどうかと提案した。今までは値段や食べやすさばかりだったがそれ以外の消費者が気にする点もたくさんある。ミルフィーユはクリームとパイ生地の層がたくさんあるという特性を利用してsnsの映えを重視したり、期間限定メニューで特別感を出す、焼き立てや作り立てをアピールし、食感を楽しんでもらうイートインを強化する。消費者の年代や、性別によって違う「理想のミルフィーユ」を作るのには難しかったが、最終的には個包装の上品なパッケージでミルフィーユ感は残しつつ、飽きないように期間限定要素も追加するというデザインになった。一方でイートインはスターバックスのような王道のカフェのように季節によって違うクリームを使ったりするという意見にまとまった。生産者だけでなく消費者の細かい希望や要望にも応える。これは大手企業ならば決まりきったことだ。一つのものを売るだけでも何にどれほどの影響を与えるかをはっきりさせないと思わぬ方向に展開してしまうことが多い。
「多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない」これはカエサルの残した言葉だ。確証バイアス(願望や思い込みに沿う情報ばかり集める傾向)を指摘していると言われている。人は事実を客観視せず、自分の都合の良い側面だけを見る傾向があるため、冷静に全貌を見渡す教養と思考の枠組みが重要であると説いているのだ。 人間は少々楽観的なところが多い。人と人との会話で食い違いが起きるのは自分に都合の良い解釈をしてしまうからだと思う。わたしも自分にとっていい現実しか見ずに、後に帰ってきた現実を見て大変な目に遭うことがたくさんある。これも物事を多角的に見入ることの大切さを解いていると思う。一つの自分にとって都合のいいことだけでなく、他の人から見たこの状況はどうなんだろうと考えるのは大切なことだ。
もちろん一つのことに没頭して突き詰めるのは大切なことだ。それを突き詰めた人がいたから人間はここまで進歩したとも言えるかもしれない。だけど「人の振り見て我が振り直せ」という言葉があるように、今この視点だけで見たらすごくいい話だけど他の人から見たらとんでもない話ではないかと常々振り返るのが大切だ。東日本大震災で命をかけたり人を助けるために死んでしまった人の遺族は「美談にしないで」と言っていたのをニュースで見たことがある。そもそも、なぜその人は命をかけることになったのかという背景や再発防止の議論が置き去りにされてしまうのは結局なんの成長もない。遺族からすれば、本人が亡くなったことの悲しさは計り知れないのに、すごいと賞賛されるのは複雑なはずだ。わたしも、自分から見てすごいなと思うことでも他の人はどう思う可能性があるのかを考えて過ごしたい。