手間の価値(清書)

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  科学文明の発達は、人間の日常から手間を省いていく。これまで人が経験していた手間の数々を片っ端から省いていった。あらゆるものがそろい、面倒なことは避ければよいから本能的なアンテナを張り巡らせることをできずになることで、決定する力がにぶる。便利さや快適さを求める人間の欲求が文明を発展させたことは事実だろうが、そのために有形無形の人間本来の資産をたくさん犠牲にしてきていることに、我々は気づくべきだ。手間を省く生き方をしている限り、生きる喜びは感じられない。生きる喜びとは、感性を研ぎ澄まし、自然の大きさと人間の魅力を日々発見することにある。だから、生きる喜びを十分に感じられる、手間を省かないような生き方をするべきだと思う。

 そのような生き方をするための方法として、第一に人と直接会うということが挙げられる。ここ数年で、特にコロナウイルスの流行った頃合いからインターネット上でのやり取りが多くなった。確かにスマホ越しでも相手の顔をみられるし、また相手と会話することもできる。しかし声のトーンや視線は分からないから、そこにあるはずの微妙なニュアンスの違いが分からない。例えば、住民説明会をオンラインで開催するとしよう。対面のときよりも、参加者の表情や発言の際にとる行動、参加者の中での意見の交換をしにくい分、理解度は対面で開かれる場合に比べて劣る。対面で開く場合の情報の質や伝達の正確さは、同じ説明を行ったとしてもオンラインに比べて総合的に優れている。

 第二の方法は、物を多面的に、より多くの視点からみるということである。すなわち、ある一つの見方に固定されないということだ。より手間にはなるが、固定観念をもって接するときと比べより多くの情報をつかむことができる。さらに、多面的にみることで、ものの解釈に余白が生まれる。その余白によって、別の解釈の余地が広がるために、同じものをより様々な意味で捉えられる。例えば、あるとき、どうしてもペン立てが欲しくなった。よく使うペンをより取りやすいところにおきたくなったからだ。既存品を買ってきてもよいのだが、僕は代わりに家にあったジャムの瓶を利用した。ゴミ回収の日に出せるよう玄関に置いてあったのを発見したもので、その後数年間は立派にその役目を果たしてくれた。

 省ける手間を省かないと効率が下がるという意見がある。失敗する可能性があがる、時間がよりかかるという意見もある。確かに、それらはすべて否めない。十分に考えうることだ。どこかの窯で皿をいくら作ったとしても、ライン作業で大量生産する工場には敵わない。試みが失敗し、なにか失うこともあるかもしれない。しかし、アインシュタインは「価値あるものを手に入れるには、価値ある努力を惜しんではならない」といっている。効率が下がっても、じっくり焼いたほうがお皿は頑丈になる。失敗によって学べることも多い。アインシュタインは「成功した人間になろうとするのではなく、価値ある人間になろうとしなさい」とも言っている。確かに結果も大事だが、しかし、より重要なのはその過程で、そこに面倒な手間があるのだ。