芸術を知るためには
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あらゆるものがカジュアルになっていき、さまざまな機器の圧倒的な便利さと引き換えに、「傾聴」したり「注視」する面倒な手続きがどんどん失われていく時代の中で、「真面目」で「傾聴を迫る」クラシック音楽は本当に伝統芸能化せずに生き延びられるのか、と心配したのが杞憂だったかのように、それは今ではオシャレなファッションにさえなることができる。世の中にはクラシック音楽は難しいという人が今でも結構いる。その人たちが口を揃えて語るのは、一曲が長いので途中で退屈してしまう、まして暗く閉ざされたコンサート会場で長時間、物音ひとつ立てずにじっと座っているのは苦痛だ、ということである。つまり、コマーシャルのクラシック音楽が効果を挙げたのは、一曲を有機的統一体として把握する構造的な聞き方のできない人、あるいは密かな異和を抱いている人が次第に増えており、十五秒ぽっきりという異端の聞き方がその人たちの心の間隙をついた、という一面があったのではないだろうか。私たちは、芸術作品にじっくりと向き合おうとする文化をもっと見直すべきだ。
そのための第一の方法は、芸術や音楽に興味を持つことだ。私の学校では、週に一度美術の授業がある。そして、最近の授業ではピカソの描いた、「ゲルニカ」について鑑賞した。有名な作品だから、私は見たことがあったが、その授業では作者の思い、ゲルニカにある背景、独特な絵柄など細かいところまで学んだ。私は、絵を描くのは好きだが、芸術作品にはあまり興味はなかった。だが、いろいろな作品を鑑賞することで、さらに絵について知ろうと思えた。音楽も同じだ。授業で、ベートーヴェンの作った交響曲や、日本の昔の歌を鑑賞する時間があり、初めは、現代の曲の方がリズムがよく、楽しいと感じていた。だが、鑑賞してよく聞くことで、その時代の良さが伝わってきた。つまり、視野を広げ鑑賞してみることで、心が豊かになるのだ。
そして、第二の方法は、学校側が芸術に向き合う時間を設けることだ。私の通っている学校では、毎年芸術鑑賞という授業があり、さまざま芸術を学ぶことができるのだ。例えば、去年はケニアに住んでいる日本人夫婦が来てくださり、ケニアの服装や歴史、音楽を体験することができた。最後には、自作の曲も披露してくれて、ケニア語を使って生徒全員が一緒に歌うというライブスタイルの音楽を楽しむことができた。小学校の頃にはなかったものだから、さまざまな芸術を知るためにも、もっと多くの学校で実行するべきだと考える。
確かに、本格的に取り組む時間を作るのは難しい。しかし、「芸術とは見るのではなく、感じとるものだ。」という名言があるように、それぞれの時代の芸術を感じ、尊重していくべきなのだ。