読む世界、見る世界──二つの楽しみを生きる

   小6 あさゆほ(asayuho)  2026年4月4日

 読書の楽しみは一人でできる楽しみだ。いつでもどこでも、設備も要らず、どこかへ出かけるにも及ばず、相手と相談もせず、気の向くままにいつまでもどこでもできる。読書は大砲の体力とはほとんど関係がない。老人子供、病人でも多くの場合には、それぞれ読んで楽しめる。疲れているときでも、優しい疲れない本を選びさえすればよいと筆者は述べている。オーディオ・ビジュアル」が活字を追い払う時代が来たと言う人がいるが、著者はそれに反対している。

写真などの視覚情報は、一瞬で大量の情報を伝える点で非常に優れている。

しかし、写真は「その人が昨日そばを食べた」「明日はうどんを食べるだろう」といった過去・未来を伝えることはできない。

言葉は過去や未来についての内容を表現できる。

活字を音声化して録音することもできるが、便利な場合と不便な場合がある。

だから、活字時代の後にオーディオ・ビジュアル時代が来たのではなく、活字にオーディオ・ビジュアルが加わっただけで、両方を楽しめばよいという立場である。

 私は個人的に読書より、マンガ・アニメのほうが好きだ。

それに小説(絵本以外などの読書)を初めて読んだのは高学年の時だった。高学年になって初めて読んだ本は好きなアニメの「名探偵コナン」だった。好きな本なら楽しく読めると思ったからだ。しかし、初めてだからなのかそれは100%上手くいかなかった。

プロローグの1ページ目を開いて、一文目を読み始めたときからあきらめてしまった。でも、ここで終わるのも情けないし、いつになっても小説を読めないからもう一度だけ挑戦した。今度はあきらめないように頑張って読んでみた。「だるいなー」って思わないように慣れるまでは難しかったけど、初めての本を一週間で読み切ることができた。今は、もっと長い文章を読んだりして読書を好きになろうと頑張っている。それからはマンガと小説の本を均等にして読んでいった。今でも小説の長い文章を読むのはつらいと感じるが、話の内容を理解していたらどんなに時間がたってもよいと感じた。ちなみに初めて読んだ小説はコナンといったが、映画を見てから読んだからだ。そのほうが話の内容がつかめて状況がイメージできるからだ。小説のコナンの題名は「から紅の恋歌」。ある程度の話はつかめてる。一言でいうと百人一首に関する話だ。なぜ、でも「恋歌」っていうの?とお姉ちゃんに聞くとそれは百人一首は昔、歌だったからだ。「から紅の恋歌」の中で面白いセリフは、キャラクターに「服部平次(はっとりへいじ)」という男の人が服部平次の彼女、「遠山和葉(とおやまかずは)」に倒れてる建物から一緒にバイクで逃げるとき、服部平次が大阪弁で「その手離したら…殺すで」のシーンが面白かった。しかも、面白かった理由は服部平次と私の出身地が同じだから、だいたい話の弁はわかるからだ。そのシーンでお姉ちゃんとゲホゲホ笑っていた。

 本と違ってテレビや映画は簡単に言うと本は字、テレビ・映画は動画とみんな思うはずだ。だが、深く語ると本は“想像して読むメディア”、テレビ・映画は“見て聴いて体験するメディア”である。

本がよい理由で大きいのは集中力が伸ばせる。

本がよくない理由で大きいのは時間がかかる。

自分にとっては映画は短いと思うけど、本になると映画では行ってないセリフやナレーションが追加されて読む話が長くなる。だから、映画を見てから本を読んだほうが知識が身につくと思う。

 また、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」のことわざの通り、本で調べることは恥ではなく、むしろ賢い選択である。例えば、学校で授業中に分からないところがあったけど、先生に質問したらよく理解した。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。

人間にとって読書とは、頭の中で自由に遊べる時間や自分のペースで楽しめる娯楽である。

本を読むと、話を読んで自分だけの想像性がある映画を作れたり、映画のように本を読むときは時間配分がないのである。これからもあきらめずにマンガと小説の両立を均等にして映画・アニメも均等にしていきたいと思った。