ラレルは、四つの仕事を

   中2 あさくに(asakuni)  2026年4月3日

 要約:「口は希代の怠け者」は言語経済化の原理をことわざにしたようなものだ。口がここまで怠け、作業をしたくないのは、ただただ面倒くさいからだ。日本語の「ラレル」は敬語などでも使われるように、非常に万能であり、使用者の我々から見ると単純に難しいのだ。この「難しい」を「簡単」に変えるために、「ラレル」を「レル」に変える現象が見られている。このような新しい「型」を承認するか、しないかと問われたら、答えは必ず「ノー」にならないといけないのだ。それは言語は何事にも保守的だからなのだ。

まず最初に古さの良さはその正しさである。古くから言葉に残る、「ことわざ」や「モラル」は何か否定・変更できない理由があるので生き残っていると思う。努力の根本をことわざ化したかのような「千里の道も一歩から」で考えてみてはどうだ。これは約2500年前に中国で作られた物ですが、皆さんは「よく今まで生き残っていたな」と思いませんか。普通、「リアル二刀流」のような一時的な流行語を今も使っている人は非常に社会の風潮に弱い人やレトロオタク以外考えられません。私の取り上げたものは約5年前のものですが、これが10年、100年、1000年とまでスパンを伸ばしていったら、もう覚えている人などはほとんどいないだろう。しかし少数ですが生存している物も残っており、それらは人間の本質を捉え、刺激しているからこそ継承されているのである。人間は誰しもいろいろなものを忘れ、過ちも犯します。これらを振り返り、多くの人たちは「生まれ変わったらこれを変えよう」などと夢を語る。しかし現代科学では輪廻転生やタイムスリップは証明されておらず、懐疑的な人も多いことでしょう。なので、人々は後世のため自分の失敗を二度と繰り返さないようことわざを作り出し、その言葉で今日も人々を奮い立たせているのである。

しかし新しいものにも常に物議をかもしてくれるという利点が存在する。現在2026年では様々な画期的な発明が世に出されており、世の中の多種多様な観点から論争が起きてる。このような現象は多くの場合新発明が保守的な世界に出されたときに発生する。その理由はと言いますと、古いものは人々と馴染んでいるからである。日本列島には古代から仏教が伝わっており、「諸行無常」など人々の思考にまで根を広げている。なのでもうここまで来て、「お釈迦さまはこの行為が人道的ではない」と声を上げても、ほとんど世には影響力が無いのである。自己肯定感の少ない方や恥ずかしがり屋の方々には耳の痛い話かもしれませんが、意見交換は衝突しないといけない義務があると思います。一方が引き、もう一つが採用されても一切進歩は無く、ほぼ無意味といっても過言ではない。実際に二つが互いに爆発し、磁石のN極とS極のように反発しあう中、無理やりテープでグルグルにくっつけても良いのである。そうすれば未だかつてない、新たなものが息を吹くと思う。私もこの哲学の元、グループワークの意見交換の際に意見の衝突を求めたのだが、一人の意志が強い子以外皆いわば「逃げて」しまったのだ。しかしながら、私とその生徒だけでも一歩も引かない車たちの「交通事故」の後、新たな高みの答えを導き出した。

古いもの中にある「正しさ」や新しいものへの拒絶反応は素晴らしく、非常に尊い物だが、一番大切なのは「新古今」の三つにも分類されない人間を真に「向上」させてくれるのもだと思う。もちろん新たな物理的な物が発表されたら時の流れと共に衰えてゆくのがお決まりだ。だが、人の考え方、いわゆる「哲学」はいつの時代も共通するものである。この「人間の真骨頂」の疑問はルネッサンスの時代のヒューマニズムに共通する考え方だが、本当に我々は再度文明の進路を再度考えなければならないと思う。一歩外に出れば小中学生でもスマホを所持し、政治にもAIが登場して来ている。このような時代の流れに身を任せ、本当に人類は大丈夫なのだろうか。地球の最悪な末路を回避するため私はこのほぼ見えかかっている未来のシチュエーションをかわさないといけないと思うばかりである。