不思議といえば

   中2 あかそよ(akasoyo)  2026年4月4日

  私という人間がこの世に存在しているという事ほどこの世に不思議なものはない。自分で意思したわけでもないのに気づけば存在していた。「私」のふしぎをわすれたたましいを忘れている人にそれを分からせる点で児童文学は特にすぐれていると思う。魂などというものは本当に存在する物なのかもわからなければ定義することもできない。だが、それは死んだときにあちらに持っていけるものだなどと考えることも可能だ。実際のところどうかは分からないがそれがあるとして考えてみると急に恐ろしくなったり面白くなったり人生を何倍か豊かに味わう事も可能になるであろう。もちろん良いことばかりでなくその逆のことが起こる危険も考えておかないといけない。不思議についての物語を知るのが良いのではなかろうか。

 たしかに客観的な指標も大切である。例えば、中間考査や期末考査の時にはもちろん点数が出る。点数が出なければいいのにと思う事もあるが、テストの点数がいいのか悪いのかで、だいたいだが、その時したテスト勉強の方法がわかる。小学生の時、社会のテスト勉強の時に、教科書を読んで丸暗記しようとしていたことがあった。だが、それだとあまり効率よく覚えられず点数が悪かった。そのため、勉強する方法を変えてみた。ノートに、手書きで内容をまとめ、それを何度も見返すというものだ。それは、おそらく手で書くことによって内容の多くを覚えることが出来たからであろう。客観的な指標を見ることで、自分に合ったことができるようになることもあるのだ。

 しかし、客観的な指標では測れないものも大切である。僕は、植物が好きなのだが、最近は忙しくてほとんど植物をゆっくり見ることが出来る機会がない。本当はもっとゆっくりして植物を眺めたりしたいなと思うのだかなかなかそうはいかない。植物をいくら見たって触ったって客観的な指標は出ない。だから何も評価されない。だからと言ってそういうものがいらないわけでもない。そういうものがあるおかげでしなければならない勉強などに追われ続けるだけでなく楽しみながら生きていけるのだ。少しくらい休むことだって必要なのだから指標に表せないものを大事にすることもいいのではないか。

 大事なのは2段落と3段落の客観的な指標で測れるものと測れないものとを上手に調節し、現実をしっかり生きていくことである。「家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人である。」という言葉のように、中身から充実したものにするために指標で測れるものを頑張ることに偏りすぎずに指標がないものやことをするように心がけていくべきだ。指標では数字しかわからない。数字がこの世のすべてではないのだから感情や好きなことなども大事にしてそれも通して考えながら生活していかなければならない。ひとつのことに偏りすぎて他のものが見えなくなったりしてしまってはもったいない。脳は複数のことは同時に考えられないような作りになっているから一つのものに集中してしまうのはしょうがない。だが、切り替えることは可能なのでそうして生きていくべきだ。