不思議といえば

   中2 あえなて(aenate)  2026年4月4日

 確かに、客観的な指標は大切だ。学校の成績の付け方は先生が客観的に見た指標だ。

自分で成績を決めることはできない。自分で、今学期はテストの点数も良いし、提出物も出してるから4だろうと思っていても、先生から見たら、あまり意欲が伝わらず、3になってしまうこともあるだろう。ぼくも、1年生の三学期にあった学年末試験で、技術家庭の科目で、90点という高得点を取れた。三学期は、提出物も出しているし、学年末とはいえ4はとれると思っていた。しかし、結果は、3だった。自分で4だと思っていた。主観的に自分を評価した。しかし、客観的に見たら、まだ何かが足りなかったのだろう。自分では4をつけてしまうだろうけど、客観的な指標もためになると思った。

 しかし、同時に、人間は他人との比較では測れないものがある。これも成績の話なってしまうのだが、成績には、昔の相対評価と、今の絶対評価というものがある。相対評価は、5が何人、4が何人、3が何人など、段階ごとに人数が決まっていて、実際に出た指標が、自分の実力と一致しないということもある。それに比べて、絶対評価というものは、全員5でもいいような、自分の評価が、そのまま出る評価方法だ。相対評価では、絶対に、1になる人が出てくる。仮に、優秀な学年で、全員テストが百点だったとしよう。その場合、今の絶対評価なら全員5かもしれない。しかし、昔の相対評価なら、必ず百点を取っていても、1の人が出てきてしまうことになる。逆にいうと、全員〇点でも、5になってしまうと、いうことが起きる。だからこそ、絶対評価の方が成績の付け方的にはいいと思うし、人間には、他人との比較では測れないものがあるのだ。

 このように、人間には、他人との比較の中で評価される自分と、自分自身の中でわかるジントがる。名言に、「家とは、外から見るためのものではなく、中に住むためのものである。」というのがあるように、大事なことは、その二つのバランスをとって現実の社会を逞しく生きていくことではないだろうか。