清書
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年月日
ふだん私たちは、コインを丸いものとみなしている。けれども、水平方向から眺めれば、明らかに、薄い長方形に見えるはずだ。文学作品において、同じ1つの事実を極めて異なる言葉で言い表すことがある。そういった表現は、ヨーロッパに古くから伝えられた巧みに表現する技術体系である。レトリックと深い関係になるレトリックとは、多角的に考え、かつ多角的な言葉によって表現してみることである。レトリックは、発見的な認識の努力に近い。こんにち、価値の多様化と言うことがしばしば問題になる。肝心なのは、相手の立場、別の視点に立ってみればどんな具合にものが見えるのかと言うことを思い描いてみる能力である。物事を多角的にみるのは良いと思う。その理由は二つある。
第一の理由として、物事を多角的にみると、新しい発見があるからだ。私は家で、大切なものを無くしたことがある。その時、きっとそれは私がよく行くところにあるだろうと思って立ったまま探していた。しかし、なかなか見つからなかった。そこで小さい子の視点に立ち、しゃがんで探してみると、私の視点ではわからない低いところにあった。この出来事を通して、自分とは違う立場に立って、物事に取り組むことも大切だと思った。
第二の理由として、一方的に見ていても、本当の姿が見えないからだ。私は中学校に入学したての頃、怖い先生に会った。背が高く、目力が強かった。母は優しそうだと言っていたが、私は全然そのような感じがしなかった。しかし、1週間経って見ると、母の言っていた通りとても面白く優しい先生だった。授業もとても面白く、真面目な話だけではなく、面白い話もしてくれる。そういう先生だった。見た目だけ判断してはいけないと思った出来事だった。
確かに物事を1つの方向から深く探っていくのも必要である。とても大切な知識を学ぶことも多いだろう。しかし、「雑草とはまだその美点が発見されていない植物である」と言う名言がもあるように、物事を多角的に見なければ見えてこないところも多いのだ。だから、これからは、物事を1つの方向しか見ずに、自分の考えに制限をかけるのではなく、多角的に見て、考えを広げていきたい。そして、他の視点に立って考えてみたい。