物事を多角的に見る
中1 あこりお(akorio)
2026年4月4日
私はレトリック感覚を持つことに賛成する。その理由は二つある。
まず第一に、レトリック感覚を持つことによって、私たちは新たな発見をすることができるからだ。長文にも書いてあったように、ニュートンはリンゴが木から落ちたことを見て、それを「地面とリンゴが惹きつけあった」と表現し、万有引力を発見した。以前、父に数学を教えてもらった時に、正の数と負の数の計算がレトリックに似ていると感じた。マイナス一引くマイナス五という計算だったが、「引く」ことを「マイナス一」に変換したり、「マイナス五」を「マイナス一かけるプラス五」と言い換えることで、計算を単純化でき、解きやすくなった。レトリックを使い、物事を言い換え多角的にみることで、脳内が整理されてより理解しやすくなるのではないだろうか。
第二の理由として、今、レトリック感覚のある人間が社会に必要とされているからだ。今日、A Iが発達し、想像力を要しない作業的な仕事はもちろん、文章、音楽性生などん創造、想像力の欠かせない、今まで人間にしか不可能だと思われていた仕事まで、AIがいかにも人間が手がけたかのようにこなせてしまうようになった。しかし、AIに欠けているのは「疑問」だと思う。AIは、与えられた、人間の見ている一面的な情報を信じて疑わないが、人間は与えられた情報だけでは満足せず、人間は疑問を持つことができる。自分で見つけた問いを解くために多角的にみることをする。今年、ノーベル化学賞を受賞した北川進氏も、、レトリックを使い、多抗性剤料を、「何も役に立ちそうにない空間」を見つけ出したという。AIにない「疑問」を常に持ち続け、それを「レトリック」で考えられる人間こそ、今のICT社会に必要されている人間だと感じる。
人間にとってレトリック感覚とは、自分の視野を広げ、新たな発見をすることにつながる、今必要とされる「スキル」である。確かに、一つの視点から物事を深く考えることも時には重要だ。その面を詳しく知ることができたり、多角的にみるときに注意点があるという意見にも納得できる。その注意点とは、多角的に見ているつもりでも、自分の考えに似ていない考えを脳が排除し、自分と共感できる意見を目に着くように表示してしまうので、自分の考えは正しいと過信してしまうことだ。私たちはこのリスクを理解した上で、物事を多角的に見ていかなければならない。「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈してきた。しかし、大切なのは、解釈することではなく、変革することだ。」という名言がある。レトリックを知るだけではなく、日頃から疑問を持ち続け、そしてレトリック感覚で推理し解決や発見に繋げること、つまり実践が重要である。これから私たちの生活は、科学の発展によりさらに豊かになっていき、自分の頭で考えなくてもAIがその場に沿った、満足のいく答えを出してくれるだろう。そんな時に、AIを動かす側、多角的に物事を捉え自分の頭で考えられる、そんな人になりたい。