一人の経験がみんなへ
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年月日
「何回かやっていれば、できるようになりますよ。」
佐藤邦昭先生は、いつもやさしくそう言ってくれた。
生との出会いは、新型コロナの影響で外出が思うようにできなかった二〇二一年のことだ。当時、わたしが通っていたお絵かき教室の先生は、コロナ禍で仕事が減り、今後の勉強のためにと草玩具(くさがんぐ)の本を読んでいたそうだ。ふと本のそでを見ると著者の佐藤先生の住所が書いてあり、すぐ近くだと分かったという。お手紙を出すと、「私も時間ができたので、教えに行きましょう」と連絡があり、そのご縁でわたしも一緒に教えてもらえることになったのだ。
草玩具に使うシュロの葉は、ヤシの木の仲間で、大きなうちわのような形をしている。葉をリボンのように細長く簡単にさき、二本使って、馬やバッタを編んで遊ぶのだ。一見簡単そうに見えるが、実はとてもむずかしい。バッタの頭と足がねじれたり、体に穴があいてしまったりする。でも、それを見せると、先生は何もなかったかのように静かに、あっという間に直してしまった。まるで先生の手からハンドパワーが出ているみたいだった。そして、いつも「何回も作っていればできるようになりますよ」と、やさしく言ってくれるのだった。
その後も、定期的にお会いして、近所の公園にある木々や草花の遊び方をたくさん教えてもらった。オオムラサキの葉で笛を作ったり、ヤマブキの茎で鉄砲を作ったり公園の中は遊び道具でいっぱいだった。今でも母と公園を歩く時、佐藤先生に教わった植物がたくさん生えていることに気がつく。学校で友だちに遊び方を教えてあげたこともある。先生は、身近な植物でいろいろな遊びができることを、わたしに伝えてくれたのだ。
先日、母から佐藤先生がお亡くなりになったと聞かされた。たまに近所のアイスクリーム屋さんでもお会いしていたので、信じられない気持ちでいっぱいだった。
わたしは母にも、心に残っている先生について聞いてみた。母の思い出の先生は、小学一年生の時の阿部先生だそうだ。外国で暮らした経験がある阿部先生は、四十年前、まだ日本では有名ではなかったハロウィンパーティーをクラスで開いてくれた。みんなでヒメリンゴを食べてゲームをしたことを、母は今でも覚えているという。
阿部先生はみんなが知らない外国の文化を、佐藤先生は自然の楽しさを、若い世代に伝えたかったのだと思う。一人の先生から教わったことは、たくさんの人々に伝わり、もしその先生がいなくなっても、ずっと受け継がれていく。それは、とてもすごいことだ。
わたしは先生が残してくれた経験や思い出を、これからもずっと大切にしていきたいと思う。
佐藤先生がよく通っていたアイスクリーム屋さんには、今も先生の作った草玩具の作品が飾られている。