技術の進歩 未完成
高1 あおさみ(aosami)
2026年4月2日
脳死が心臓死と決定的に違うのは、「中間的身体」を生み出すからである。移植治療にとっては、訪れる死を確認していたのでは遅く、脳死を人の死とみなし、その段階で身体を人格性の拘束から解放することにする。だが、「みなしの死」によって、脳死身体の「資材」化への道が開けることになり、それは役立たない自明の死を、人間の利益にそくして人間が規定する「役立つ死」へと転化することである。
我々は、技術の進歩に見合うだけの精神を持つべきだ。
そのための方法として第一に、現実から目を逸らさず、問題点に向き合うことだ。
私自身の悩みの一つにスクリーンタイムが長すぎることがある。疲れたり、逃げたくなったりすると、とりあえず思考が止まらせてくれるネットへ走る。脳や体に良くないと思っても、それが解決策な気がして止められない。しかし、結局は問題が解決せず後々苦労することになる。だから私は、現実を見て問題点に向き合うことが大事だと思う。「花の子どもたち」という物語で行われた銃についての議論のなかで、ある女の子が「銃の是非を議論するのではなく、現実として今アメリカは銃社会であるというところから出発したほうが良い」といっていた。
つまり、スクリーンタイムが長いことを悪いと責めるよりも、満たされない気持ちの出どころを探すところから始めるべきだという訳である。
いつまでも目を逸らし続けていたら、自分自身の破壊となりかねないため、自分と向き合うところから始めたいと思った。
第二の方法として、大勢で議論することだ。この前、ふらふらと記事を見ていたら「死刑囚表現展」というものと出会った。これは、日本国内の拘置所に収監されている死刑囚たちが描いた絵画の展覧会である。死刑制度について国連は廃止を目指し、2024年の国連総会では「加盟国3分の2以上が、死刑廃止を視野に入れた死刑執行の停止を求める決議案を支持した」そうだ。
この知識を踏まえて調べてみた絵画たちはどれも個性的で、私には到底思い付かないような構図、色使いが印象的だった。また来場者の声はさまざまだったのも興味深い。作品を見て、身勝手だと感じた人、生きて償うという思いに賛同した人、死刑制度について考えるきっかけになった人。同じ絵画を見ても感じることはさまざまであった。私たちはそれぞれ違う人生を歩んできているから意見が違って当たり前だ。だからこそ大勢で議論しさまざまな意見に対する解答を模索していくべきである。
確かに、技術の進歩は目覚ましく、人間の意識の方がついていけなくなりがちだ。
しかし、「」という言葉があるように、