科学技術と倫理観
高1 ゆうゆ(auyuyu)
2026年4月2日
私たちは、日々進化し続けている技術に合った倫理観や社会性を身に着けるべきだ。
そのための方法として具体的には、新しい技術の誕生によって何が起こるか、先まで考えることだ。本文では脳死状態の人間の話が語られていたが、ネット上等では安楽死の是非についての議論も度々行われている。すなわち、希望する人間が自ら死を選ぶことを認めるべきかどうか、ということだ。実際、死を前にした重い病気の患者などに対して延命治療を行い、苦痛を長引かせるのは如何なものかという声は国内外を問わず多く上がっている。私自身、患者本人やその家族などリアルな状況に置かれている人々の意見を見ると、胸が押しつぶされたような思いがする。なぜ制度はいつまでも変わらないのかと思ったこともある。しかし、人間の命が関係する重要な制度であるため、何が起こるか、取り返しのつかないことにならないか、熟考しなければならないのだ。
例えば、自分の意志とは異なるところで物事が勝手に進んでいかないか、ということである。もし仮に現代の日本で無条件に安楽死が認可されたとする。もちろん良い影響もあるだろうが、社会全体の感覚として生命を軽視することにならないだろうか。どれほど前代未聞の制度であろうと、時が経てばそれはあたかも常識であるかのような顔をして社会に溶け込んでいく。「経済的な負担を軽減するため」という理由で死を選ぶ人も出てくるかもしれない。想像もできないが、「ある程度の年齢になったら/何らかの理由で働くことができなくなったら迷惑をかけないために安楽死」という価値観が当たり前になり、同調圧力に逆らえなくなるという可能性さえ否めないのだ。
また、SNS上を中心とした一部の若い世代の中で、「生きていても仕方がない、どうしようもなくなったら自死を選べば良い」という価値観が蔓延っているのを最近、強く感じる。絶望を感じたときでも、図らずも「かかるであろう手間と苦痛」そのものががある程度のストッパーになり得る(尤もこれは最終手段であり、そうなる前に専門の相談員や電話窓口などに助けを求めることが必須である)が、もし安楽死が認可された場合そのラインを踏み越えることが比類ないほど容易になる。結果、たくさんの人生が捨てられることにつながるのではないか。私はそれを恐れている。
このように、安楽死をはじめとした新しい制度や技術には、必ず良い側面と悪い側面の両方がある。何かを始めたり、終わらせたりすることには重大な責任が伴うものであり、どちらかだけを見て安易に判断することは極めて危険だ。急速に発展している科学技術に、法整備が追い付いていない例も多々ある。「十分に発達した技術は魔法と見分けがつかない」という言葉もあるように、新たな技術に対して倫理的に考えられる力をつけたい。