人間にとって自然とは
小6 あきはや(akihaya)
2026年4月4日
今美しく維持されている里山は、必要な手間暇をすべて里山の人々の善意に負っている。都市に暮らす人々が大切な里山を維持してもらえるように、里山の人々に対し相応の負担をするべきではないか。それは金銭的な補助や下草刈りなどの世話をするボランティア活動であってもいい。開発が進む里山では新しい道路が作られ、野生動物たちが訪れる林が分断されることが多くなった。野生動物たちにとって一番いいのは緑のコリドーだ。
六年生になってから、忙しいことが増えてきた。学校のために働いたり、クラスの授業が山盛りになったりで忙しいことがとにかくたくさんある状況だ。5年生とは違って、学校の中の最高学年になった。五年生の時は、休み時間の時には必ず遊べる状況だったのに、今は六年生だから休み時間は〝必ず遊べる〟ということは無くなってしまった。その代わりに僕は六年生としての目標を立てた。その名も、休みの間に宿題を終わらせる作戦だ。なんでこんな名前かというと、休み時間の間にあまり遊びに行かないから、その間に宿題をやれば家に帰ったら、お母さんに「宿題やったの?」と聞かれなくて済むからだ。あとは、学校で草むしりを頑張っていた時、みんなが集中して頑張っていたので、僕も集中して頑張った。
お母さんの面白い目標は、シンハラ語を覚えようとしたことだ。でも僕は絶対無理でしょ。と思っていた通り、やっぱり無理だったとか思っていたら、無理だったとか言っていた。まあシンハラ語は難しいからだと思った。そのお母さんはまるで、頑張って覚えようとしている字の読めない人だと思った。でもその時の母さんは、熱に燃えて、絶対読み切って見せてやるというようなオーラが漂っていた。上の文にあるように、僕は草むしりを頑張っていた時に、グキッと言う音が鳴って、草むしりが終わった頃に学校の授業が終わって家に帰ったら、すぐに整形外科に行った。そしたら大人で言うぎっくり腰になっていた。僕はそう聞いて、顔が真っ青になりかけた。
自然というのは人間にとって、二酸化炭素を酸素に変えるというものすごく重要なものだと思う。だってもし地球に木や葉っぱがなかったら二酸化炭素ばかりになって、人々が一酸化炭素中毒になって死んじゃうかもしれない。でも緑があるからこそCO₂がO₂になって人が呼吸しても酸素はあまりなくならない。だから自然は人間にとってものすごく重要なものであると私は思う。