3.3

   高1 あえとく(aetoku)  2026年3月3日

 今の日本の都会では、路上でものを売る人をほとんど見かけない。昔は道は公共スペースで、商売は路上で始まったが、見知らぬ者との取引には信用の問題があった。三十年前、魚屋風の男から安いうなぎを買い、御飯を炊いて食べてみると、実はあなごだったという経験がある。路上の取引には、このくらいのリスクがつきまとう。一方、日本のように万事がお金本位になってしまっていない国では、まだ路上の商売は賑わっている。イスタンブールでは子供たちが煙草を売り、スーダンでは煙草屋が黙って坐り、一本ずつ売る。常連との信頼の中で、その場で吸い、元気に仕事に行く売買が成り立っている。私たちは人間的なコミュニケーションを大切にして生きていくべきではないか。

人間がよりよく生きていくためには、人との触れ合いを大切にすることが欠かせないと私は思う。そのためには第一に、日常生活の中で人との関わりを意識していくことが重要である。私自身も、部活動などで後輩に会うと、とにかく自分から声をかけるようにしている。忙しくて余裕がないときでも、「おはよう」や「元気?」といった挨拶や短い会話を交わすだけで、相手は安心した表情を見せてくれることが多い。こうした何気ないやりとりを続けていくことで、少しずつではあるが信頼関係が築かれていくのだと感じている。このような小さな触れ合いの積み重ねこそが、人と人とのつながりを深め、より良い人間関係を作っていく土台になるのではないだろうか。

第二には、社会自体も機械に頼りすぎず、人間どうしの触れ合いを重視した仕組みにしていく必要があると思う。現代社会では、効率の良さや便利さが優先され、機械的で画一的な対応が増えてきている。しかし、そのような対応が必ずしも人を成長させるとは限らない。発明家エジソンは、蓄音機などを発明し、機械の力を最大限に活用した人物として知られているが、子供時代には小学校の先生の機械的で一方的な指導によって退学を余儀なくされたという話がある。一方で、エジソンの才能や可能性を引き出したのは、母親の温かく人間味あふれる関わりだった。このエピソードからも分かるように、人を育てるうえでは、効率だけでなく、一人ひとりに向き合う人間的な対応がいかに大切であるかがよく分かる。

確かに、大量生産や大量販売は、私たちの生活を便利で豊かなものにし、社会を大きく発展させてきたことは事実である。しかし、その便利さの裏で、人と人との直接的なコミュニケーションは次第に薄れつつあるように感じる。だからこそ私たちは、もう一度原点に立ち返り、社会の基盤となる人間同士のコミュニケーションに目を向けるべきではないだろうか。「経験は、最良の教師である」という言葉があるように、人間が本当の意味で成長するための貴重な経験は、教科書や機械の中だけでなく、人との触れ合いの中にこそ多く存在しているのだと思う。