人びとが時間に(感)

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  人々が時間に追われるようになったのは、時計の普及によって生活が細かく管理されるようになったためである。かつては太陽や自然の流れに沿って大まかに暮らしており、時間に縛られる感覚は薄かった。しかし現代では時計の常時携帯やテレビの時刻表示により、分単位で行動する生活が当たり前となり、余裕が失われつつある。さらに時間を効率的に使おうとする意識が強まった結果、空いた時間にも仕事を詰め込む傾向が生まれている。本来は充実した時間を求めているはずなのに、かえって時間に追われる状況が続いており、時間にとらわれない過ごし方を確保することが課題となっている。私は時間に縛られずに生きていきたい。

 そのための方法としては第一に、物事に熱中することだ。私は最近ゲームを熱中してやっている。ある時、私は勉強で疲れたので10分ぐらいゲームをしようと思い、タイマーをかけて遊びだした。しかし、熱中しすぎていたため、タイマーの音に気付かずに2時間もゲームをしてしまった経験がある。ゲームに熱中している時は、ゲームの音以外が耳に入ると集中できなく楽しめないので、無意識にゲームの音以外の音を耳に入れないようにしていた。そのため、タイマーの音が聞こえなかったのだと思う。さすがに2時間もゲームをしていたので、いい加減勉強をしなさい、と親に怒られてしまった。このようにゲームに熱中することで、その時間は時間に縛られずに遊ぶことができる。様々なことを熱中することができれば、時間に縛られずに生きることができる。

 また、第二の方法としては、ゆとりを持って生活することだ。ゆとりがあればその分好きなことをすることができる。私はこの前、学校の宿題で数学の宿題がたくさん出てしまった。私は計画を立て3日で終わらせようと決めた。しかし、思ったよりも自分が集中していたおかげか2日で終わらせることができた。そのおかげで1日のゆとりを作ることができた。ゆとりができたことで、自分ができなかった英語の勉強や社会、理科の普段はあまりしなかった教科の復習などをすることができ、テスト勉強までもすることができた。このように、ゆとりを持つことで自分のやりたい勉強をすることができ、時間に縛られてストレスをためることなく生活することができるようになる。

 確かに、時間どおりに規則正しい生活を送ることも大切だろう。しかし、「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言もあるように、私は、時間に迫られるような人間になるのではなく、時間をうまく使い、縛られない主体的な生き方をしたい。