目に見えない真の価値
中1 とやちな(toyatina)
2026年5月1日
数年前、森林関係の研究所に勤務している研究員のところに、ある村の村長が訪ねてきた。その村の森には、天然のヒノキが大きく育っているのだという。そのヒノキを一番高く売るにはどうすればよいのかが村長の問いだった。研究員はいろいろしらべたうえで、玄関の表札にして売るのが有利だというものだった。柱になった後も堂々と支え続け、生き続ける姿を思い描いていた村長には、容認できることではなかった。気が本来持っている価値を生かすことと、商品として木を高く売ることは、必ずしも一致しない。木の文化は、天然のヒノキが細切れのいたにされるのがかわいそうと感じる村長と同じような感情に支えられて、その感情を仕事の中で実現させる職人たちの腕とともにあったのである。というように私は物の価値をお金で換算せずに考えるほうが良いと思う。
一つ目の理由としては、お金が物の価値を表しているわけではないと考えるからだ。以前、何年も使っているお気に入りのボールペンがあり、別に何千円とする高いボールペンではなく、長年使っていくうちに愛着がわいてきた。そのボールペンを使っていたところ、値段の安さから友達が使っている理由
を訪ねてきた。その際、私は長年使っていくうちに他のボールペンを使うと違和を感じるようになったからだと答えた。ボールペンの金額が高くなくても、私が大切にしているように金額ではない、本当のモノの価値が存在する。だから私は、金額に惑わされず本当の価値を信じる。
二つ目の理由としては、真剣にモノと向き会うことができるからだ。なぜなら、もしお金という概念が存在しなかったとすると、モノの価値はわからなくなってしまう。そのため、モノの価値を理解するには、一度モノと向き合う必要があるからだ。世の中には、高級な肉などを食べて美味しいと言い、高くない食材は美味しいともなんとも言わない。しかし、安い肉でも高い肉といったら美味しいという人はいる。というように金額で態度を簡単に変えてしまうのは人間の良くないくせである。値段が安いから雑に扱う。金額が高いから大切に扱う。このようなことはあってはならないと思う。そのようにならないために、モノと向き合い本当の価値を見つけだすべきだ。
確かに、お金はそのモノに対する労力(例えば原料が簡単に採集できるから安い)を示したものであるためモノの価値を示していると言えるかもしれない。しかし、価値とは役立つか・金額だけではなく精神的満足度も含まれると思う。どんなにお金を持っていたとしても、好きなものを使うことや動物の愛嬌さ、家族や友達と話す楽しさ・苦しみを超えた達成感は買えず人間の生きがいともいえるであろう。以上を踏まえ「大切なものは目に見えない」という言葉があるように、金額という目に見える感覚ばかり頼りにせず、お金にも何にも代えがたいものこそ、「真の価値」だと私は考える。よって、私は今後どんなものとも対等に向き合いそのモノの「真の価値」・魅力を見つけ出すよう努めていきたい。