「集める」こと

   小6 ゆい(akakiyu)  2026年5月1日

    「集める」こと

  「今日、〇〇ちゃんからシール交換をしてもらったよ!」

 学校から帰るなり、私は母にそう報告した。私がシール交換を始めたのは、今年の一月のことだ。きっかけは、クラスメイトや周りの友達がみんなやり始めていたからというものだった。最初は一回ネットで買うだけで終わろうと思っていたが、平面と違うぷくぷくしたシールを眺めているとなぜか幸福感に満たされた私はその魅力にすっかり取り憑かれてしまったのである。そして、結局シールをさらに集めたいと考えた私は、親に頼み込み、自分のお小遣いを使ってネット通販でまたシールを買うことにした。しかし、二回目に注文をお願いしたとき、母から

「また同じようなシールを買うの?」

と呆れて言われてしまった。私にとっては一枚一枚が特別な価値を持つ宝物なのだが、シールに興味がない親から見ればそれはただのシールでしかない。そんな温度差を感じつつも、私の情熱が冷めることはなかった。しかし、そんなシール集めやシール交換の楽しさの中には、自分が損したりすることもある。ある日、私は友達が持っているボンボンドロップシールがどうしても欲しくなり、自分から交換をしたいと言った。だが、実はその時私は大きな勘違いをしていた。自分が持っていたものこそが本物のボンボンドロップシールだとは知らず、相手が持っている偽物の方を本物だと思い込み、自分から差し出して交換してしまったのだ。後になって、手元に残ったのが印刷のズレて押すとペコペコしてすぐに壊れてしまった「偽物」だと気づいた瞬間のショックといったら、まさに「オーマイガー」という言葉しか出てこなかった。その時は、五百円も払って買ったりんごあめを食べてみたらちっとも美味しくなかった時のような喪失感に似ていた。

  そんな母にも、実は今の私と同じような時期があったらしい。母が中学生の頃は、「プリクラ」を集めるのが大流行していたそうだ。母はプリクラ帳を持っていて、そこに友達と撮ったものを貼ってコレクションしていた。また、母は相手が誰であろうと構わず、どんどん声をかけて交換していたという。「またシールを買うの?」と呆れ顔で私に言う母だけれど、やっていることは今の私とあまり変わらない。むしろ、誰とでも交換していたという母の話を聞くと、私よりもずっと情熱的だったのではないかと思えてくる。

 集めることは人間にとって欲を満たして、幸せな気持ちにさしてくれるものである。母がかつて夢中になったプリクラも、今の私が大切にしているシールも、手に入れた瞬間の幸福感は共通しているのだと思う。私はこれからも、自分にとっての「宝物」を一つずつ積み上げ、心を満たしていきたい。