便利な暮らしとシンプルな暮らし
中2 あきえら(akiera)
2026年5月2日
私は、ある本を読んだ。その内容を抽象的に話すとこうなる。地球上にはまだ浪費文明に侵されず昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつもある。彼らのその生の方がいかに人間らしく自然と調和していた。その方が効率的生産を求めて慌ただしい日本の今の生活よりずっと上等な生だと痛感したのであった。何より思い知らされたのは、人間は生きていく上で何とわずかのもので足りるかということだった。徹底して全てを捨てたシンプルライフだったからこそ、これだけ自由で豊かな心になれたのかと思われる。私は、この文章を読んで思ったことは、全てを捨てると自由で豊かな心に慣れるということだ。しかし、私はこの意見に賛成でもあり反対でもある。その理由は、人と簡単に繋がれるようになるのはあまり良くないと思ったが、生活の手間が減ったのは良いと思うからだ。
便利な生活は良いと思う。その理由は、家事などをする時間を他のことをする時間に割くことができるからだ。私はこのような本を読んだことがある。昔の人は、農業や家事などが手作業だった。よって、大人だけだと時間が足りなかった。よって子供の手を借りることが多かった。その結果、子供達が勉強をする時間が減ってしまい学力があまり高くなかった。しかし、今の人は、農業や家事などを機械でしている。そのおかげで、人にかかる労力が減って子供の手をあまり借りなくて良くなって学力が伸びている。私は便利になって良かったと思った。その理由は、学力がそのまま国力に繋がってくるからだ。その理由は、学力がある人が増えると国を回しやすくなるからだ。国を回しやすくなると、私たちの生活がもっと豊かになる。だから、私は便利な生活は良いと思う。
しかし、機械化されていないシンプルな生活も良い。その理由は、人と簡単に繋がれるようにならないからだ。私はこのような本を読んだことがある。その内容を簡潔にいうと現代人は昔の人よりも人の繋がりという鎖で繋がれているということだ。どういうことかというと、スマホなどの電子機器の発達でいつでもどこでも誰とでもつながることができるようになった。よって現代人はいつどのような時も自立しても誰かとコミュニケーションを取らなければならない。相手にメールを送ると相手から返信が来る、その返信を送る、また返信が来るその繰り返しだ。よっていつどのような時も人の繋がりという鎖で締め付けられている。その結果、勉強などにも集中できなくなってしまって、結局昔の人と同じぐらいの学力になってしまっている。だから、私は、機械化されていないシンプルな生活も良いと思う。
確かに、機械化された便利で快適な生活にも素朴でシンプルな生活にもそれぞれ良さがある。しかし、一番大切なことは「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある。」という名言があるように、自分の満足のいく生き方を常に模索しながら生きていることである。