一生の言葉
小6 あきうい(akiui)
2026年5月2日
桜の散り始めの頃のある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでの間の状態をぴたりとあらわす言葉がないのに気が付いた。花便りのいろいろな言葉を作り出し、育ててきた日本語だから、私のまだ知らないところに、あの美しさを表す言葉があるのかもしれない。もし、日本語にそれがなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味すると、考えさせられた。日本語になくてはならない言葉のように思えるのだが。
わたしは五年生のころ、運動会の前に国語の授業で運動会に関する俳句を作ることになった。わたしはあまり俳句を作るのが得意ではない。まさに絶体絶命の崖に立たされたような心境だ。どうしようと思っていた矢先に、先生が
「迷っている人はこの運動会で何をかなえたいかを書いてもいいかもしれません。」
とアドバイスをくれた。何をかなえたいって・・・と考えていると、やっぱり勝ちたいなと思った。(笑)「勝ちたいな」この言葉を入れたいそう考えを膨らませた。「できました!」だれかが元気に手を挙げた。先生がその人の俳句を発表した。「がんばろう うんどうかいを みんなでね」という俳句を作っていた。わたしは「運動会」という言葉がいいなぁとおもった。もう一言入れないといけないが悩んでいると、ふと名案が出てきた。それは、「力合わせて」という言葉だ。まとめると、勝ちたいな 力合わせて 運動会になった。
六年生になると、学級目標を考えるようになった。一言で学級目標となる言葉を考える。先生は
「英語だとかっこいいんじゃない?」
面白半分でニヤニヤしていた。だが、わたしたちは意外とかっこいいかもなとまるで、餌に食いつく魚のようにそのアイデアにくいついた。わたしは五年生の時に使った「勝つ」という言葉が気に入っていた。「はい。」と手を挙げて、
「勝つって意味でビクトリーはどう?」
と聞いてみた。みんな賛成してくれた。話し合った結果、色紙にビクトリーと英語で書いて、そこに星の形に切り取ったカードをそれぞれが勝ちたいものを書こうという話になった。
言葉は心の使いという言葉があるように人間は、なやんでやっと出てきた言葉が一生のうちで何度もほかのことで使われるのかもしれない。桜の散り始めるときの美しさを自分なりに表現できる心の使いというものを探し求めたいからなのかもなとふと考えた。