シンプル・イズ・ベストとは本当か

   中2 あささわ(asasawa)  2026年5月2日

 オーストラリアの原住民、アボリジニの一人が東京に来たときビルの入り口の自動ドアに驚き、「なんでこんなものが必要なのか。ドアなど手であければいいではないか」と言ったという。われわれはそういう思いがけぬ指摘で普段の生活がいかにムダなもので占められているかを思い知らされるのである。徹底してすべてを捨てたシンプル・ライフでいれば、自由でゆたかな心になれると思われている。

 確かに、便利で快適な生活はよい。私は部活中に水筒の中身をすべて飲み干してしまい、のどが渇いても水分補給ができない状況に陥ったことがある。汗もかいていたので限界に達し、とても焦った。ところが、学校に自動販売機があったおかげで、お水を買うことができて、熱中症にならずに済んだ。このことがあったおかげで、自動販売機の便利さに改めて気づいた。また、私が小学六年生だったころは、今通っている中学校の体育館にエアコンがついておらず、毎年湯気が立ってしまいそうなほど暑かったそうだ。しかし、私たちが中学一年生になった年から、エアコンが設置され、涼しい体育館で過ごせている。なんといっても、今や30度を余裕で越えてしまう日本の夏を、エアコンなしで乗り切るのは熱中症になるリスクが高すぎる。そう思うと、エアコンや自動販売機などの便利なものがあるこそ、熱中症にならずに済み、とても快適な日々を送れていて、エアコンや自動販売機が我々の生活に重要な役割を果たしている。

 しかし、機械的ではないシンプルな生活もよい。私はついふとした時にスマホを見すぎてしまう事がよくあり、毎度後悔している。特に、「推し」の動画を見るのが好きで、つい見てしまう。しかしその都度、「あの時スマホを見なければ、その時間で作業ができたのに」と考えてしまう事が多くある。さらに、スマホだとスクロールするだけで色いろな動画が流れてくるので、常に自分が受け身でいることになってしまう。そうならないように、読書など、自分から積極的にするようなことをしたほうがいい、と思ったこともある。一見、スマホなしの生活は素朴で、私にとっては好きな「推し」の動画を見られなくなってしまうので非常に悲しいと思ってしまうが、見ないほうが時間を有効に使うことができるというメリットがある。逆にスマホではなく読書をすることで、想像力が働きスマホでは得られないような、日々の豊かさを得られる。このように、機械を使わず、素朴でシンプルに生きることで、自ら行動しようとする積極性が生まれる。そのおかげで、機械的な面では見つからなかった、時間の余裕や心の豊かさを見つけることができる。

 確かに機械化された便利で快適な生活にも、シンプルで素朴な生活にもそれぞれ良さがある。しかし、一番大切なことは、「人間は、求めているかぎり迷うものだ。」という名言があるように、とにかく迷ったとしても自分が幸せになれる生き方を見つけていくことだ。便利な生活とシンプルな生活のどちらか一方に偏らせる必要はなく、自分が幸せになれる生き方を求め見つけることが大切で、迷うことも人生の大切さだと思うのだ。わたしはこれからも、便利な生活の中から自分にとって良くないと思ったものは取り除いてシンプルな生活へと変換し、自分にとって幸せな生活を求めていきたい。